いまから50年以上前、池田理代子が生み出した伝説的少女漫画『ベルサイユのばら』。
王妃マリー・アントワネットと、近衛連隊長オスカル。同い年のふたりの女性の激動の生涯を通して、フランス革命が掲げた「自由」の意味を問うこの作品は、世代を超えて多くの日本人に影響を与えてきた。
そんな『ベルサイユのばら』が1月末、完全新作の劇場版アニメとして公開された。
https://verbara-movie.jp/
取材で池田先生に伺ってから、ずっと楽しみにしていた映画だった。試写を拝見したときは、あの壮大な物語を113分で描き切り、音楽や美術の刷新で現代人の心に訴求する作品になっていることに驚き、震えた。もとより普遍的な作品の魂は、なんら変わっていない。「名作を次世代につなぐための映画」だということが、はっきりわかった。
映画には、ラジオでご一緒している早見沙織さん(ロザリー役)も出演している。さっそくご連絡して、番組で『ベルばら』を語りあうことになった。
テーマはもちろん、あの「運命の3人」である。
1) グルック:歌劇『オルフェとウリディス』より 精霊の踊り(1/14放送分)
一日目は、最愛のフランス王妃マリー・アントワネットにちなんだこの曲。
作曲したのはドイツに生まれ、ハプスブルク家に仕えた音楽家グルック。音楽を愛したことでも知られるアントワネットだが、その手ほどきをした、いわば「王妃の音楽教師」だ。『ベルばら』の原作にももちろん登場している。
『オルフェとウリディス』(原題 Orfeo ed Euridice)は、1762年にウィーンで初演された。亡き愛妻エウリディケを取り戻すべく冥界に下ったオルフェウスを描く、ギリシャ神話の悲劇をベースにしたオペラである。
「精霊の踊り」はオペラの第2幕、死者たちの楽園を描いた幻想的な場面で登場する。澄み切った夜明けの田園のように静かな導入部と、愛する妻に会えないオルフェウスの孤独を歌う中間部の「メロディ」。フルートやヴァイオリンの名曲として、独立して演奏されることも多いこの曲の誕生の背景には、じつはアントワネットの存在があった。
アントワネットは、ウィーンで評判だったこのオペラを上演すべく恩師をパリに招くのだが、このときフランス風にバレエシーンを増やすように依頼した。グルックは、教え子の助言を受けて「パリ版」を制作。そのとき生まれたのが、おなじみの「精霊の踊り」だったのである。かくして『オルフェとウリディス』はパリでも大評判になる。
するとそこに、『ベルばら』でおなじみデュ・バリー夫人も絡んでくる。パリ音楽界の主流派だった「イタリア音楽至上主義者」たちは夫人を旗頭に、ニコロ・ピッチンニをイタリアから招聘。二人の作曲家に同一台本で優劣を競わせるという、陰謀渦巻く争いを巻き起こしたのだ(グルック=ピッチンニ論争)。
決戦はグルックが勝利するが、あの宮廷の対立が、こうして音楽史にも爪痕を残しているのはおもしろい。歴史を物語にすることの醍醐味が、ここにある。
2) モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ト長調 K. 301 より 第1楽章(1/15放送分)
2日目は『ベルばら』の代名詞たる男装の麗人、オスカルにちなんだ曲を。
1777年、21歳のモーツァルトがパリへの旅で刺激を受け、作曲したとされる「パリ・ソナタ」の1曲目だ。アレグロの爽やかなテンポ感、そしてピアノとの対等なかけあいが伸びやかで気持ちいいこの曲は、「自由」を愛したオスカルによく似合う。
もちろん、オスカルは架空の人物なのであくまでイメージなのだが、これにはふたつの根拠がある。
第一に、モーツァルトもまた「自由」を愛した音楽家だったこと。第二に、作中でヴァイオリンをかまえたオスカルが、アンドレに「モーツァルトの最新曲をきかせるか?」と語りかけるシーン(冒頭)が存在することである。
- 証言1: W. A. モーツァルト
人間を高貴にするのはその心です。わたしは貴族ではないが、貴族にもまさる高貴な心をもっている。
王侯貴族にもてはやされながら、身分制度上あくまで平民だったモーツァルト。彼は、才能ある芸術家たちが貴族の下僕として扱われる状況に憤り、宮廷楽団からフリーになった最初の音楽家だった。
その思想は、作品にも色濃く反映されている。たとえば『フィガロの結婚』の原作は、不敬としてルイ16世に上演禁止を命じられ、啓蒙君主ヨーゼフ2世(アントワネットの兄)でさえ禁止ししていた問題作。それでもモーツァルトは、検閲の目をかいくぐってオペラ化を成し遂げる。同時代を生き、宮廷の外の世界を知りたいと願うオスカルなら、このアウトロー感にしびれるはずだ。
(ちなみに1755年生まれのオスカルとアントワネット、1756年1月生まれのモーツァルトは、私たちの感覚でいえば同学年である。)
- 証言2:池田理代子
オスカルは、キャラクター設定のうえで、モーツァルトの作品が好みで、ヴァイオリン・ソナタK. 331(※筆者注:K. 301の誤植か)をお気に入りとしていますが、その当時、モーツァルトの作品は革新的な存在でした。
池田理代子は、40代で音楽大学に社会人入学したほど音楽愛が深い漫画家だ。当然、モーツァルトの思想や音楽性についても理解しており、「モーツァルト好き設定」も確信犯。この設定は、アントワネットに忠誠を誓っていたオスカルの変化を予言する、見事な暗示となっているのだ。
反対に、幼少期の出会いが描かれているにもかかわらず、成長したアントワネットがモーツァルトを聴くという描写はない。ここにも池田先生の設定が隠されているのだが、この作品の音楽描写については無限に書けてしまうので、別稿に譲りたい。(再録したらお知らせします。)
3) ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」より アリア「おまえこそ心を汚すもの」(1/16放送分)
最終日は「運命の3人」最後のひとり、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンにちなんだ曲だ。
史実上のマリー・アントワネットの恋人、フェルゼン。じつはクラシックの世界には、彼が仕えたスウェーデン国王をモデルにしたオペラがある。1859年、フランス革命勃発の70年後に初演されたヴェルディの名作『仮面舞踏会』である。
オペラ好きな方なら、「アメリカが舞台のサスペンスじゃないか」と思われたかもしれない。しかし、そこで描かれた暗殺事件には、じつはモデルがある。1792年、仮面舞踏会のさなかに起こったスウェーデン国王グスタフ3世暗殺事件である。
グスタフ3世は、フェルゼンをスパイとしてヴェルサイユへ派遣し、ヴァレンヌ逃亡事件を後方から手引きした張本人。文化芸術に大きな功績を遺したが、暗殺の原因は国内の政情不安だったという。暗殺事件は、犯人が国王の近衛士官だったことで大スキャンダルに。その黒幕には、フェルゼンの父フレドリク・アクセル・フォン・フェルゼンの名も挙がっている。
オペラの中でグスタフ3世は、腹心の友レナートの妻を愛してしまうボストン総督リッカルドに置き換わる。ある偶然から、こらえきれず愛を告白したところを、友を暗殺者から守るため奔走していたレナートが目撃。怒りに燃え、復讐のアリアを歌う。
おまえだったのか! おれの心を傷つけ
心の喜びを汚したのは
裏切り者め こんなにもひどい仕打ちで
無二の親友の信頼に報いたのだ……!
まさに「男同士の絆」。妻そっちのけで、想いあうからこそ拗れていく親友たち。その果てにあるのが仮面舞踏会、レナートによるリッカルドの暗殺である。人間の心は、かくも容易に闇に堕ちる。
このオペラを観るたび、私は『ベルばら』のあの幕切れ───アントワネットを失ったフェルゼンの最期を思い出し、胸がぎゅっと締め付けられる。あの結末にいたるまで、スウェーデンという国に、フェルゼンにどんな苦難があったのか。
ラブストーリーではなく、こうした歴史や人間のドラマが主眼だったからこそ、『ベルばら』は普遍の輝きを放つのだろう。
しかし、連載から50年を経たいま、『ベルばら』をラブストーリーだと思い込んでいる人は驚くほど多い。映画のために取材したオスカル役の沢城みゆきさんも、自らの経験について率直に語ってくれた。
原作をしっかり読んだのは、今回のオーディションのタイミングでした。「少女マンガの金字塔」という肩書きゆえに恋愛の物語だと思い込んでいた、自分自身の固定観念にも気づかされました。実際に描かれていたのは、人間の普遍的な問い。ジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』がしっかりとベースにあって「ひとりひとりが鎖につながれずに、どう自由に生きるのか」を問う物語でした。物語の入り口で感じていた香りと、実際に物語の中に入ってみたときの手触りみたいなものが、まるで違ったというのが素直な感想です。
取材中には、「原作を読んだことがない人」の多さにも愕然とした。若い世代はもちろんだが、あらゆる名作に目くばせしているような同業者にも、「じつは」という人がたくさんいた。これは『ベルばら』の知名度がずば抜けて高いこと、そして「少女マンガの金字塔」という肩書きと無関係ではないだろう。どれほどの名作でも、少女マンガ(と区別された作品)はいま、一般の読者にとって縁遠いジャンルになっているのだ。
だからこそ「原作への導線」を目指したのが今回の映画だと思う。 2018年の『BANANA FISH』アニメ化で生まれ、原作回帰した新世代のうねりとおなじような波動を、私は今作のヒットから感じている。とりわけ友人の子どもたちの反応を耳にするたび、わがことのように泣けてくる。
オスカルは、アントワネットは未来に生き続けるのだと。
もしも今、劇場に行こうか迷っている人がこれを読んでいるなら、全力でその背中を押したい。音楽のように、私たちの心を揺さぶるあの原作が好きならばきっと、胸を熱くするに違いないから。
そしてもし身近にお子さんがいるならば、一緒に観てほしい。
限られた尺にこめられた名作の魂を、作り手たちの熱い思いを、たくさんの方に感じとっていただけたら幸いだ。
クラシック・プレイリスト、次回の担当分は3月を予定しています。毎朝5時台、JFN系列38の全国FM局とradikoタイムフリーでもお聴きいただけます。
ちなみに収録時、原作未読のディレクターに「ロザリーってどんな人?」と質問された早見沙織さんの「物語のすべてを見届けた語り部です」という回答が大好きでした。どうかこのロザリーの「さようなら フランスさいごの女王さま」を、続編で聴くことができますように……!(早見さんがロザリー役って、そういうことですよね?)
「おれにはまだ見たいものがある!」
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