正月の朝、都内のホテルで朝焼けを眺めながら、テレンス・スタンプの言葉を思い出していた。
私は贅沢な放浪者(バガボンド)として、ホテル暮らしか友人の家の居候として生きています。
特別な期待もせずに時の流れに身をゆだねて、私は一時一時を満喫しています。
なんという理想。
余計なもののない広々とした部屋で、肌触りのいいリネンにくるまれ、冬の光にやさしく照らされた街並みを眺める。そんなとき私も、「ああ、生きている」という感慨にとらわれるからだ。
おなじことを年末、友人の海辺の別荘を訪れたときにも思った。
おちついた照明の中、グールドを聴きながらワインを味わっていたときのことだった。暗い海の向こうでチカチカ点滅する対岸の灯りを見ていたら、同世代の彼女が念願を叶えたことへの祝福と、自分まで大人になったような誇らしさがこみあげて、一生こうしていたいと呟いていた。
朝は凪いだ海を見つめ、挽きたてのコーヒーを味わい、鳥のさえずりや日差しがつくる影にまで心を震わせた。港では猫に出会い、帰り道には満月(コールドムーン)。一緒にいれば、すべてうまくいく気がした。
その日の午後に落ち合った友人は、映画祭のために訪れたインドの話をしてくれた。
人生初のロストバゲージを経験し、最終日は停電で出発すら危ぶまれたというのに、ステイ先の少年に誘われて見た満月があまりに綺麗で、ああ、このために停電したのかと自然に思えたのだという。
「朝起きてから眠るまで、信じられないほど時間がゆっくり流れて、1日が3日分くらいあったの」
インドに行ったことなんてないのに、わかる、という気がした。たぶん贅沢というのは、なにが自分の感性を満たし、感動を与え、時間の流れ方を変えるものなのかを「知る」ことなのだろう。
すばらしい音楽を聴いたとき、私たちはうっとりして「なんて贅沢なんだろう」と呟く。
私はコンサートへ行くことを「チューニング」と呼んでいるが、これは体が食物を必要とするように、美しい音を感じることによって心が整っていくのを「知る」ことができるからだ。
2025年はそんな、あたりまえの贅沢を慈しみたい。
朝起きたら音楽をかけて、テーブルに庭の花を飾って食事をとる。毎日小説を書いて、外国語を学んで、晴れた日は海辺を散歩する。まだ見ぬアーティストの実演にふれる。夜は丁寧にハーブティーをいれて、一日を反芻する……
目標は新刊を完成することだけれど、これはいちばん贅沢なことだ。
災害がなく健康であること、待ってくれている編集者や読者の皆さんがいること、そしてよいものを生み出せたときの喜びがなによりも尊いことを、私はもう知っているから。
二拠点生活も4年目に入り、旅支度はそれなりにこなれたものになった。
ホテルに持ち込むのは、数パターンの衣類とサシェが入ったトランク、化粧道具、パソコン、ポータブル・スピーカー、数冊の本とハーブティー。現地調達した季節の花。そして心躍る約束。
人生に必要なものは限られている。だからこそ愛するものを、自分に正直に愛していきたいと思う。
2025年も、どうぞよろしくお願いします。
高野麻衣
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