人生のどこかのタイミングで、ロメールの映画を観る時間は必要だ。
私にとっては15歳の夏だった。『海辺のポーリーヌ』の主人公に自分を重ね、どこを切り取っても絵になるフランスの暮らしに憧れた。「自宅でカフェオレを飲むときはごつめのボウルで」みたいな、そういう小さな発見にときめきながら、「あの世界に行きたい」とずっと思っていた。
二拠点生活をはじめて3度目の夏。海辺の故郷の庭にテーブルを出して書き物をしていると、風が吹いて、揺れる紫陽花の植え込みが目に留まった。「今、ちょっとロメールの世界にいるかも」と思いつくと、静かな波音が、映画の舞台だったノルマンディーの海みたいに聞こえてくる。生きている、という感じがした。
学生時代のようにロメールを見返し、図書館に通って、幼馴染と夜の海へと繰り出した。毎日が特別で、輝くような夏だった。
●Stay in Paris
この多幸感は、2023年末のパリの記憶とつながっている。
小さなホテルは、ヴァンドーム広場のそばにあった。近くにはチュイルリー公園が広がり、ルーヴルやコンコルド広場へも歩いて行ける。毎朝公園を散歩してブーランジェリーのマダムと顔見知りになると、たった一週間ではあるけれど、ここが自分の街みたいに思えた。
そもそも、パリへの一人旅ははじめてだった。小説の取材や、角野隼斗さんの公演などのアポイントメント以外は、食事の時間も気にせず自由に街歩きができる。新しくなったカルナヴァレ博物館で雨の一日を過ごしたり、マドレーヌ寺院で待降節のオルガンを聴いたり、夜のルーヴルでぼんやりしたり。なにもしない時間が、なによりも幸せだった。
忘れられないのは左岸で過ごした一日。サン・ジェルマン・デ・プレでゆっくり朝食をとってから、ボナパルト通りを歩いてふらりとサン・シュルピス教会を訪ねた。聖歌を聞きながらドラクロワのフレスコ画など眺め、リュクサンブール公園へ向かう道すがら、ふと小さな通りに惹かれて入ってみた。そこには、壁一面にカリグラフィが広がっていた。
詩人アルチュール・ランボーの『酔いどれ船』(Le Bateau ivre)である。調べてみると1871年、ランボーが近くのカフェでこの詩を朗読したらしい。偶然の出会いにわっと胸が熱くなった。
このフェルー通りは、1517年以前から存在する古い通りで、20世紀にはヘミングウェイやフィッツジェラルド夫妻が住んでいたという。子どもの頃大好きだったデュマ・ペールの小説『三銃士』でアトスが住んでいた場所でもある。左岸では、どこを歩いていても物語の断片が見つかるのだ。
通りを抜けるとすぐに、リュクサンブール公園が広がっている。
荘厳な建物は、アンリ4世の后マリー・ド・メディシスのために建てられた宮殿。彼女が少女時代を過ごした、フィレンツェのピッティ宮がモデルだ。公園ではロメール映画そのままに、人々が木陰や噴水のそばで読書したり、おしゃべりしたりとくつろいでいる。イタリア的解放感がいいのかも、と勝手に納得し、しばらく本を読みふける。
周辺を散策し、最後はボン・マルシェへ。ちょうどクリスマス前だったので、おもちゃ売り場で妹の子どもたちへの贈り物を選んだ。テディベアを探してくれた陽気なお兄さんに「Noëlのラッピングもありますよ」と案内され、ラッピング係のお姉さんに「なんてかわいいクマちゃん!」とほめてもらい、私はすっかりこのデパートのファンになってしまった。
歩き疲れて立ち寄った食品館のカフェでは、隣席のマダムに一目惚れした。ファラフェルの一皿に赤ワインを合わせ、タルトと紅茶まで存分に楽しんでから、bonne journéeと微笑み去っていた彼女の面影が忘れられない。
生きたい場所で自由に生き、人間として成熟したいという渇望が、体中にしみわたる一日だった。
●CONSERVATOIRE DES HÉMISPHÈRE
カフェで飲んだアイスティもそうだが、フランス紅茶のフレーバーの豊かさが好きだ。
ボン・マルシェから4分ほど歩いた小さな通りの片隅に、紅茶専門店「Conservatoire des Hémisphères(コンセルバトワール・デ・ゼミスフェール)」がある。オーク材でできたキャビネットやアンティークの鏡、ファサードがどことなくOfficine Universelle Bulyを彷彿とさせる。それもそのはず、創業者は以前ビュリーで勤務していたのだという。
茶葉の色合いや香りを試せる小さな引き出しや、繊細な梱包に惹かれたが、今回は時間切れで伺えず。心残りの一つ(まだまだたくさんある中の一つ)だったが、嬉しいことに、5月に渡仏したメリリルさんが茶葉をおすそ分けをしてくれた。甘酸っぱいラズベリー風味の「アンナ パブロワ」は、ココナッツとメレンゲのクリーミーな甘みもユニーク。
次回はあの空間でふたり、すべての茶葉の香りを試してみよう、と約束した。
●MUSIC
故郷に戻って、新年には三味線のレッスンをスタートをした。
近隣の古民家で、同郷の津軽三味線奏者・大谷菊一郎さんの演奏を聴いたことがきっかけ。三味線をかき鳴らし歌う様子があまりに気持ちよさそうで、それを主催者に伝えると、地域の甚句保存会の地方(音楽担当)からお声がかかった。稽古用の楽器も貸していただけるという。それならば試してみたいと入門した。
邦楽アーティストに取材したことは多々あるが、まさか自分が演奏する側になるとは。難しいけれど、未知の用語や作法に触れるのは新鮮で、わずかでも地域貢献ができるのは喜びだ。パリ(あるいはイタリア)で暮らすことになっても、日本の伝統芸能について話せたら楽しいだろう。
私しゃお宮の 真っ赤な椿
主の心にこぼれ散る
いつか曾祖母が生きた大正時代を題材に、長編を書きたいという目標もある。そんなとき、この愛らしい甚句の歌詞たちを、物語に織り込めたらと妄想している。
●What’s in my bag?
この夏のバッグの中身から、「買って/いただいてよかったもの」を時計回りに。
1. 名刺入れ、財布/12月のパリ滞在の記念に。
2. GIVENCY「プリズム・リーブル・プレストパウダー」の01/昨年のクリスマス、T夫人にいただいた4色フェイスパウダー。実力派でありながら、美しいコンパクトとブラシをはたいたときの香りが、癒しとときめきを与えてくれる。
3. 国立西洋美術館「写本」展のミントケース/内藤コレクションの中世写本をあしらったグッズが、さりげなく優雅で優秀。この獅子のケースには大粒のフリスクと鎮痛剤、絆創膏などを常備している。
4. diptyque「LE GRAND TOUR」のヴェネツィア/同地をともに旅した友人・小橋めぐみさんがシェアしてくれたオードトワレ。フレッシュバジル、青パプリカ、マンダリンオレンジというヘルシーな組み合わせがこの夏の気分だった。「ルージュ エルメス」のオレンジも同様。
5. Caran d’Ache「エクリドール シェブロン」のボールペン/家では万年筆を愛用しているが、取材メモのために「いいボールペン」がずっとほしかった。こちらはなめらかな書き味に加え、士官の袖章に由来する「シェブロン」が仕事の成功を祈願していると伺い即決。パスポートサイズのノートは無印良品のもの。
●NEXT STAGE
この夏の日記は、仲間と作っていた同人誌ではじめたもので、かれこれ10年以上続けている。
オピニオンがもてはやされる昨今では、「私の日常のよしなしごとを誰が必要とするのか?」といった疑問が頭をもたげることも多いが、それでも待ってくれている人はいるし、8月になるとそわそわしてしまう。
小さな頃から、憧れをあつめることが趣味だった。行ってみたい国や暮らしの写真に、小説の一文、映画のフレーズなどを添えて、ノートに書き留めていた。眠る前にそのページをめくるのは、私にとって大切な時間で、道に迷ったときには、必ず立ち止まって読み返す。すると、本当に大切なことや、こうありたい自分を再確認できる。この日記はたぶん、ノートの一環なのだ。
秋には母校の中学で、後輩たちに講演することになった。これまでの半生を回顧していると、これからやりたいことも明確になる。パリ(あるいはイタリア)で暮らすこと。私だけの猫と暮らすこと。そして本を書き続けること。なにはともあれ、10年後も20年後も、子どもたちに誇れるような自分でありたい。
ポーリーヌの物語は、バカンスを過ごす別荘の門を開けるところから始まり、「Tout à fait(その通りね)」というセリフとともに門を閉じて終わる。15歳の私には、それがたまらなかった。けれど今は、バカンスのあとも続いていく人生がいとしい。
だからこそ私たちは、夏を噛みしめるのだろう。