Memories & Discoveries 24/08「ボレロ 永遠の旋律」

夏の終わりが近づくと、モーリス・ラヴェルの音楽が聴きたくなる。

たとえばピアノ協奏曲の第2楽章。4分の3拍子の静かなピアノ・ソロのあと、ふわりと登場するオーケストラ。繊細な弦の和声の上で、旋律を途切れることなく歌い上げるフルートやオーボエ、クラリネット。主題を高らかに鳴らす、イングリッシュホルン。やがてピアノのトリルがふつりと消え去ると、まるですべてが宙を待っているような、不思議な浮遊感の中に取り残される。

フランス人の師は、「これは秋の音楽」だと語っていた。「もし君に愛する人や家族があれば、その幸福に感謝の気持ちがわいてくるだろう。秋は、感謝の季節でもあるのだから」と。若かった私は、この言葉を額面通りに受け取っていた。だからこそ今も、秋の気配にふと、この曲を聴きたくなるのだろう。

「秋の音楽」にはもしかしたら、もっと深い意味がこめられていたのかもしれない。そう気づいたのは、つい最近のことだ。

きっかけは、「ボレロ」の作曲秘話をベースに、モーリス・ラヴェルの人生を描いた映画『ボレロ 永遠の旋律』を観たこと。監督は『ココ・アヴァン・シャネル』のアンヌ・フォンテーヌ。圧巻の音楽と、1920年代のパリのエレガンス。ラファエル・ペルソナ演じるラヴェルの静けさと、純度の高い孤独が胸に迫る、まさに傑作だった。

試写を観たひと月後にはオリンピックがはじまり、パリへの愛がまたしても高まった。折よく、早見沙織さんも渡仏していた。そこで8月は再びパリへと戻り、映画とその音楽の魅力をご紹介することにした。

1) ラヴェル:ボレロ(8/20放送分)

モーリス・ラヴェルが1928年に作曲したバレエ曲である。スネアドラムのリズムに導かれ、2種類の旋律が楽器を替えて繰り返されるというシンプルな構成は、現代のミニマル・ミュージックに通じる斬新さだ。

17分間の作品を貫くクレッシェンドと、フィナーレのカタルシスは唯一無二。バレエの世界に留まらず、広く愛される音楽の一つだが、映画のラストで「世界中で15分間に1回演奏されている」という事実を知り驚かされた。

『ボレロ 永遠の旋律』の物語は、バレエダンサー、イダ・ルビンシュタインからラヴェルへの新曲依頼ではじまる。冒頭は、ふたりが工場を訪れるシーン。機械が奏でるリズミカルな轟音が、ラヴェル耳を通して少しずつ音楽になっていく。つねに「現代」を意識していたラヴェルを象徴するような描写だ。

工場には、何と音楽的な物語があふれているのだろう! 音楽家は、歴史家や小説家と協力しながら、現代の機械の物語を我々の子孫に伝えていかなければならない。

当時スランプに陥っていたラヴェルは、近代化の最中にあるパリをさまよい、人々と関わり、人生を振り返りながらひらめきを追いかけていく。その様子が、実際の「ラヴェルの家」で撮影されていることも魅力だ。サン=ジャン=ド=リュズの海辺の別荘もすてきで、ロケ地めぐりをしてみたくなる。

初演は1928年11月22日、パリ・オペラ座だ。

大成功に終わった公演に、ラヴェル本人は何を思っていたのか。そしてそれがどう変化していったのか。圧巻のダンスシーンとともに、ぜひ劇場で見届けてほしい。

2) ラヴェル:弦楽四重奏曲 第2楽章(8/21放送分)

時代をさかのぼり、20代のラヴェルが1902年から翌年にかけて作曲した室内楽を。

この弦楽四重奏曲は、1904年3月にエマン四重奏団によって初演され、敬愛する恩師ガブリエル・フォーレに献呈された。4つの楽章から成り、2楽章は「Assez vif. Très rythmé (十分に活き活きと。きわめてリズミカルに)」。ピツィカートで提示されるイ短調のスケルツォが印象的だ。

実はこの第2楽章、パリオリンピックの開会式でも使用されていた。セーヌ川の上に、ちょうどイギリス選手団の船が登場したあたり。ピアニスト、アレクサンドル・カントロフが弾く「水の戯れ」からの流れがごく自然で美しく、さすがと唸らずにはいられなった。

映画では、中盤の演奏会シーンで登場する。作曲家ラロの息子で批評家のピエールが、この斬新な音楽に「ドビュッシーに似すぎている」とケチをつけるのだ。このピエール・ラロを、本作のピアノ演奏や手の吹替を担当したアレクサンドル・タローが演じているのも、ファンには嬉しいサプライズだった。

ラヴェルの弦楽四重奏曲は、たしかにドビュッシーの「弦楽四重奏曲 ト短調」(1894年発表)からちょうど10年後の作品で、たくさんの影響を受けていた。しかし、ドビュッシーはラヴェルのこの作品の新しさを認め、「音楽の神々の名とわが名にかけて、あなたの四重奏曲を一音符たりともいじってはいけません」と熱狂的な賛辞を送っている。

ラロの言葉を、ラヴェルは微笑んでかわす。ドビュッシーの言葉が、彼の心を支えていたのかもしれない。

3) ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト短調 第2楽章(8/22放送分)

1929~31年に作曲されたこのピアノ協奏曲は、ラヴェルが完成させた音楽作品のうち、最後から2番目の作品だ。当初は自らのピアノ独奏を想定して作曲に取り掛かかったが、健康状態が悪化し、信頼するピアニスト、マルグリット・ロンにそれを託している。

1931年パリ、サル・プレイエル。ロンのピアノとラヴェル自身の指揮で行われた初演は好評を博し、翌1932年にはそろって演奏旅行も行われた。

曲は全部で3楽章。ジャズのように自由な第1楽章も魅力的だが、ご紹介する第2楽章は、穏やかなアダージョ・アッサイだ。映画の中でははっとするような、思わず涙がこみ上げるような登場が印象的だったので、これからご覧になる方のために秘密にしておこうと思う。

重要な役割を果たすのは、初演のピアノ独奏を務めたマルグリット・ロンである。

マルグリットは、20世紀を代表するピアニスト。ロン゠ティボー国際コンクールの創設者でもある彼女は、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルといった巨匠たちの語り部となり、著書や講演、演奏活動をとおして彼らの音楽を「フランス音楽の正典」へと押し上げた。

ラヴェルの1つ年上で、よき理解者でもあったマルグリットは、映画の中で、いつも隣で彼を支える親友として描かれている。その関係性は、知らない人なら「彼女はラヴェルの妻?」と疑問を持つほど親密だ。エナメル靴にこだわるダンディな紳士でありながら、ミステリアスでなかなか本心を語らない――監督の解釈ではアセクシャルでもある――ラヴェル。彼がマルグリットにだけ見せる頼りなげな素顔に、何度も胸を締めつけられた。

かつて師が語ってくれた「秋の音楽」の意味を知りたくなったのは、晩年のラヴェルの孤独と、このふたりの関係性を知ったことがきっかけだ。試写会のあと、古書舗からマルグリットの著書『ラヴェル 回想のピアノ』を取寄せた。そこには楽曲にこめられたラヴェルの本心が、ときに誤解への憤りを垣間見せながら記されている。ラヴェルその人について描かれた最終章は特に、忘れることができない。

この魔術師は、ヒューマニティの花だったのです。

敬愛と、揺るぎない信頼。だからこそマルグリットはラヴェルとともにいたし、ラヴェルもまた彼女に、ピアノ協奏曲という「秋の音楽」を献呈したのだと思った。そう、秋は、感謝の季節でもあるのだから。

愛する人や家族がいる幸福に、感謝する秋。この第2楽章を聴くたび、これからもきっと、この温かな感情を思い出すだろう。

 

Boléro, un film d’Anne Fontaine, avec Raphaël Personnaz (Ravel), Doria Tillier (Misia), Jeanne Balibar (Ida Rubinstein), Emmanuelle Devos (Marguerite Long), Vincent Pérez (CIPA), Anne Alvaro (la mère de Ravel), Sophie Guillemin (Mme Revelot), Alexandre Tharaud (Lalo) – Christophe Beaucarne DOP

 

クラシック・プレイリスト、次回の担当分は10 月15日より放送予定。テーマは「ハープの世界」です。毎朝5時台、JFN系列38の全国FM局とradikoタイムフリーでもお聴きいただけます。

出演|Memories & Discoveries

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