故郷・新潟へ移住して、3年目の正月である。
めずらしく覗いた青空に浮き立ちながら海に祈り、姪や甥と和やかに過ごしていた午後、大地が大きく揺れた。
テレビの画面には「つなみ にげて」の文字が点滅し、わが家のある高台には人々が避難してきた。海辺の町だ。13年ぶりに酔うほどの揺れを味わったばかりだから、津波という言葉に切実な恐怖がこみ上げた。
幸いなことに、当地は避難だけで終わったが、能登の映像を見かけるたび胸が痛む。いまだ余震も続いている。
明日何が起こるかなんて、誰にも分らない。だから書こう。書いて、一冊でも多く世に出そう。
美しい朝日を見ながら、そんなことを強く思った。
年末には、4年ぶりのパリを訪れた。
目的は『F ショパンとリスト』で描いた「ふたりのF」への御礼と、次作の取材だ。
心地よい緊張と自由を満喫し、現地の人々と対話するたびに、本当に生きたい場所で生き、人間として成熟したいという渇望が、体中にしみわたるのを感じた。
私にとってその渇望は、自分を形づくる力である。
「今日はいいや」が積み重なっていく日々は、もう断ち切ろう。できない理由を考えるのをやめよう。サン・シュルピス教会での礼拝のあと、シテ島の文具店で購ったノートに、そんな思いを記した。
旅のおわりに聴いたショパン。地震の夜にラジオから流れたウィンナ・ワルツ。
音楽が支えてくれた数週間でもあった。そんな音楽にいつか恩返しするためにも、私は書き続けたい。
2024年も、どうぞよろしくお願いします。
高野麻衣