Memories & Discoveries 20/08「リストとマリー、その巡礼の年」

8月は音楽でヴァカンスを。

今回は9月開催のムジカサローネ Parte3の予習もかねて、「リストとマリー、その巡礼の年」をテーマに選曲した。

作曲家フランツ・リスト。彼は超絶技巧のステージで女たちを失神させることに満足せず、新たな音楽様式を創造し、若き才能を育てるなど、時代を見すえる広い視野をもった革新者だった。その背後には若き日の旅、つまり「巡礼の年」と「パートナー」の存在があるのではないかと私は思っている。

そのパートナーこそがマリー、のちに文筆家となるダグー伯爵夫人である。

マリー・ダグー、別名ダニエル・ステルン。パリ社交界の華。1835年から1839年までの「巡礼の年」を、リストとともにジュネーブやイタリアで暮らしたパートナーで、のちのコジマ・ワーグナーを含む3人の子の母。「巡礼の年」を描いた小説を皮切りに歴史や美術の評論を執筆し、新聞王をも魅了しながら独身をつらぬき、バルザックの小説のモデルとなった「新しい女」。

彼女に贈った指輪にリストが掘らせた言葉が「深い孤独のなかで」だった――この逸話に鳥肌が立って以来、私は彼女を心の友のように感じている。リストが生涯手を加えつづけた「巡礼の年」のパートナーは、望郷と孤独を共有した”魂の双子”のようにも思えるのだ。

リストの名曲『巡礼の年』をメインに、スキャンダルに隠されたふたりの素顔を覗いてみよう。

1) リスト:『巡礼の年第1年:スイスより「ジュネーブの鐘」(8/11放送分)

『巡礼の年』は、「第1年:スイス」「第2年:イタリア」「ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)」「第3年」の4集からなるピアノ曲集。リストが訪れた土地の印象や経験、目にしたものを書きとめた(まさに)アルバムである。20代から60代までに断続的に作曲しているため、リストの作風の変遷もよくわかる。

「ダンテを読んで」「エステ荘の噴水」など人気曲も多いが、今回「ジュネーヴの鐘」を選んだのは、この曲が、マリーとともに旅したスイスの思い出を綴った「第1年:スイス」のラストを飾る意義深い曲だから。

リストとマリーが出会ったのは1832年末。リストは21歳、有名ピアニストではあったが、まだ作曲家というようなものではなかった。マリーは27歳。家どうしの都合で大ブルジョワの娘が没落貴族に嫁いだ典型的婚姻によって、すでに娘が二人いた。残っている書簡でふたりの関係の変化がわかるのは、1833年3月あたりから。1835年5月末、ふたりは別々にパリを離れ、バーゼルで落ち合う。

こうした経緯から「駆け落ちの旅」と呼ばれることもあるが、実際に音楽を聴けば「新婚旅行の間違いでしょ?」というくらい輝きに満ちている。当時の倫理観でいえば婚外恋愛自体はスキャンダルではなく、旅には「マリーが身ごもった子どもを無事に出産するため」という意味合いのほうが大きかったからだろう。

そうして、旅のさなかにはじめて父親となったリストが長女ブランディーヌに捧げた、愛と安らぎに満ちた曲がこれだ。「ラ・カンパネラ」とはまったく違う、穏やかな鐘の音を味わってほしい。

2) リスト:『巡礼の年 第2年:イタリア』より「ペトラルカのソネット第47番」(8/12放送分)

2日目は、マリーとともに”芸術の祖国”を旅し、絵画や文学など数々の作品に触れた印象をしたためた「第2年:イタリア」からの1曲だ。

題材となったペトラルカは、イタリアの詩人。「第2年:イタリア」にはほかにラファエロの絵画やミケランジェロの彫刻、詩人サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ、そしてクライマックスの大曲にはダンテ・アリギエーリの『神曲』も登場し、雄大な自然や情景を描写した「第1年:スイス」とはかなり異なる。

この日ご紹介したマリー・ダグーの日記(『巡礼の年 リストと旅した伯爵夫人の日記』)の翻訳者・近藤朱蔵氏によれば、イタリア滞在はふたりにとって「教養を広げるためのグランド・ツアー」の一面が強かったらしい。幼い頃から演奏活動に明け暮れていたリストは、学歴でいえば小学校中退でしかなかった。彼は十代から読書によって教養を形成し、マリーとの暮らしの中でそれを共有し、深めていったのである。

同書にはリストの日記も収められており、そこにはこんな記述がある。

彼女が今日僕に言った。「仕事をしたり、勉強したり、練習したりとか、もっと上手に時間を使わなければね」

姉さん女房の小言をちょっと煩わしく感じてひとり煙草をふかし、夕陽を見つめるリストがいとしくてたまらなくなる。

3) ワーグナー=リスト編:歌劇『タンホイザー』より「巡礼の合唱」(8/13放送分)

3日目は、ワーグナーの人気オペラからの編曲作品をご紹介した。

リストは、「指が6本ある」と言われるほど卓越したピアニストだったこと--いわゆる「女子を失神させた」こと--でよく知られているが、その強烈なイメージゆえに霞んでしまっているのが、彼の先進的なビジネスセンスや、後進への教育活動だ。

その一環に、リストの編曲作品はある。パリなどの大都市で大ヒット中のオペラを、劇場のない津々浦々までリサルタイムで伝える役割を、彼の作品と演奏活動が果たした(じつは”リサイタル”も彼の発明だ)。オペラという、総合芸術にして当代一流のエンターテインメントを、ピアノ1台で再現する--この難題に立ち向かうには、彼の作曲家としてのセンスとテクニックが必須だった。あくまで編曲、されど編曲。ほかのアレンジに比べると、リスト作品はまったく別物の芸術作品だ。

また「リストとマリー」というテーマに照らすと、ワーグナーはふたりの次女コジマの“婿”でもあった。”舅”との年齢差は2歳、ともに天才音楽家。これって、幼少期に父親から引き離され、遠くからリストを思いつづけた娘コジマのファーザーコンプレックスではないかと思われ、ちょっと切なくなる。

4) リスト:喜びに満ち、悲しみに満ち(8/14放送分)

最終日は、リストが1844年に作曲した歌曲を。

19世紀末のリヒャルト・シュトラウスなどの歌曲を予感させる、不思議な響き。巡礼の果ての安らぎと、諦観が混在する、映画のエンドロールのような1曲だ。

リストはピアノ曲以外にも交響詩、オラトリオなど数多くのジャンルで活躍した。1840年代には歌曲も多く、1841年にはマリーに『ローレライ』という歌も献呈している(水の精ローレライは彼女のあだ名だった)。

ふたりの「巡礼の年」は1839年に終わりを告げ、別れてから、マリーはリストに勧められた文筆の道へ進んだ。リストが聖職者となった晩年、彼女はこう記す。

彼はこの28年をどうしたのだろう? そして私は?
彼はリスト神父になり、私はダニエル・ステルンだ。
そして私たちの間には幾たびの絶望、死、涙、嗚咽、喪があっただろうか。

「深い孤独の中で」--マリーの日記、そしてリストの音楽は、余人には立ち入れないふたりの絆を教えてくれるようだ。

あらためて楽曲を聴きながら、本人たちの言葉を、音楽をこそ信じたいと感じた。

20世紀以降の「良識」という名のバイアスからから表現者たちを解き放ち、描いていきたいと強く思う。

 

TOKYO FM『Memories & Discoveries』は毎週火〜金 朝5時台、JFN系列33の全国のFM局で放送中。オンデマンドでも視聴可能です。
https://park.gsj.mobi/news/show/69426

 

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9月19日(土) 18:00-19:30 朝カルオンライン
https://www.asahiculture.jp/course/shinjuku/6eeb3fa2-bb87-7a92-b99d-5efc6d98bef0

ムジカサローネ Parte3「リストとマリー」

出演|Memories & Discoveries

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