人生を変えたマンガがある。
出会いは17歳。大学受験を前に進路を決めかねていた私に、漫画好きの従兄叔父がそっと貸してくれた黄色いコミックス――それが『BANANA FISH』だった。完結から数年、すでに「古典」という印象だった。読みはじめると一気に惹きこまれて現実に戻れなくなり、読了後、2日ほど学校を休んだ。
学校を休んで、地元の市立図書館に通った。ヘミングウェイやサリンジャーを読みあさり、登校してすぐ第一志望をニューヨーク市立大学に変更した。夏休みには突き動かされるように短編を書いて賞を獲り、絶対物書きになろうと決めた。
今の私があるのはこのマンガのおかげだと断言できる。
君は一人じゃない。人生を変えるハードボイルド・ロマン
『BANANA FISH』の魅力だなんて、人口に膾炙しすぎたお題でおこがましいけれど、それでも語りたいのは、この実体験――人生がまるっきり変わるような衝撃を、まだ読んだことのない人にも味わってほしいからだ。
魅力はおもに３つある。第一に舞台設定。1985年「別冊少女コミック」で連載を開始した本作は、ベトナム戦争が起点のアメリカン・ニューシネマの泥臭さをまとったハードボイルドであり、麻薬をめぐるミステリーでもある。謎を追うジャーナリスト、マックス・ロボの前に現れるのが、戦友だった被害者の弟で主人公のアッシュ・リンクス。そしてラスボスは、コルシカ・マフィアの首領ディノ・ゴルツィネ。この設定は初期の大友克洋風タッチもあいまって、多くの男性ファンを獲得している理由でもあるだろう。
第二に、アッシュの驚異的なスペック。マンハッタンのストリートキッズのボスにして美貌の天才（IQ180以上）。ニューヨーク市立図書館を書斎がわりに専門書や黎明期のPCを使いこなし、ヘミングウェイを愛読し、モーツァルトを聴くインテリ不良少年――口の悪さも含めて、少女たちの夢の結晶だった。
そして第三の要。それはアッシュと、事件に巻き込まれた日本人大学生・奥村英二との「友情も恋愛も超えた奥深い結びつき」である。アッシュの不屈の精神にとって、英二の揺るぎない信頼と強さがどれだけの支えだったかということである。その意味は、大人になって、違和感や苦難を経験するにつれてどんどん大きくなる。
「言葉にできない関係性」の尊さを、私たちはこのマンガから学んだのだ。
2月には、今夏ついにテレビアニメ化される『BANANA FISH』の制作発表会へ伺った。監督に『Free!』の内海紘子、キャラデザに『同級生』の林明美、制作に『ユーリ!!! on ICE』のMAPPAという布陣に気絶しかけたが、追加情報にも興奮が止まらない。
原作ファンのあいだでも至高とされる9巻前後の絵柄をもとに再現された、現代版の美しいアッシュ。彼が動いただけで、幸せすぎて涙が出るほどだった。『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』アイン・ダルトン役の熱演も記憶に新しい内田雄馬（アッシュ役）にも期待しかないし、若い彼をフォローする野島健児（英二役）の存在感はキャラそのもので、ものすごい安心感だった。
夏が楽しみでならないが、アニメの前にぜひ原作も読んでほしい。紙の上から聞こえてくる外画のような音楽とセリフ回し。荒れ果てた街の静かな夜明け――そういう80年代ニューヨークの空気感はたぶん、原作ならでは魅力として残るだろうから。
あの「黄色いコミックス」の復刻版も出たことである。文庫派の方は、最終回の数年後を描く傑作短編『光の庭』（別巻収録）を絶対にお忘れなく。
それではわが心のニューヨークへ、よい旅を。
（Febri Vol.48, 一迅社, 2018）
［追記］
このコラムがきっかけでアニメ音楽誌LisOuefにお声がけいただき、「完全版」を執筆することができた。
そして「完全版」がきっかけとなり、TVアニメ『BANANA FISH』劇伴集のライナーノーツも担当させていただいた。感謝しかない。
また、アニメ放映中の10月には、Febriにて本作の巻頭特集が実現。企画から参加し、序文まで執筆した記念すべき責任編集号となった。この特集に寄せていただいた、「アッシュのように性暴力で傷つく子どもをなくすための仕事をしたい」という手紙は宝物だ。
私自身「アッシュみたいに美しく強く生きたい」と必死だった20年間に、女性たちの意識はこんなにも変わったんだと思うと、勇気が湧いてくる。少女マンガが教えてくれたことはいま、世界を変えている。なにを恐れることがあるのだろう。
皆様からの熱いコメントやお手紙は、いまも大切に保管しています。ありがとうございました。