私たちの「BANANA FISH」

人生を変えた漫画がある。

大学受験を前に進路を決めかねていた私に、漫画好きの従兄叔父がそっと貸してくれた黄色いコミックス――それが『BANANA FISH』だった。読みはじめるとすぐに没頭し、読了後に2日ほど学校を休んだ。登校してすぐ第一志望をニューヨーク市立大学に変更し、夏休みには突き動かされるように短編を書いて賞を獲り、物書きになろうと決めた。

アニメ化のニュースが解禁された昨年秋。あれから20年経つのに、一晩中涙が止まらず自分でも驚いた。

アッシュのように強くなりたくて、彼らのような物語を紡ぎたくて、必死に生きてきた。そうした感慨と、「きっとうまくいく」という確信がないまぜになって、胸がいっぱいだった。

あの確信は、『BANANA FISH』と同様アニメというジャンルを愛してきたことと無関係ではないだろう。本稿では、『BANANA FISH』のなにがここまで人を魅了するのか、原作ファンの私がなぜアニメ化の成功を期待しているのかを、あらためて整理してみたい。

 

1. 舞台設定

1985年に「別冊少女コミック」で連載をスタートした『BANANA FISH』は当初、ベトナム戦争時の銃乱射事件をプロローグに、80年代のニューヨークを舞台にしたクライム・サスペンスとして幕を開ける。

ストリート・キッズのボス、アッシュ・リンクスは、偶然手にした麻薬の謎を追うことで、コルシカ・マフィアの首領ディノ・ゴルツィネと対立。事件に巻き込まれた日本人大学生・奥村英二や兄の戦友だったジャーナリスト、マックス・ロボらと絆を結びつつ、次から次へと現れるライバルや強敵たちと戦う。

吉田秋生のあまたある傑作のなかで、『BANANA FISH』が独特の地位を築いている理由のひとつが、この舞台設定であることは明らかだ。映画やドラマの舞台として現代でもおなじみだが、80年代の「ニューヨーク」は日本人にとって「憧れの外国」の象徴だった。

同時に、治安の悪さでも有名だった。落書きだらけの地下鉄やダウンタウンの街並みは、日本の日常とはかけ離れたディストピアとして、クリエイターたちを刺激しただろう。外国映画のようなセリフまわし、荒れ果てた街の静かな夜明け――それらは、吉田秋生が描きたかった「ニューヨーク」の空気感そのものに思える。

今回アニメが放映される「ノイタミナ」という枠が、このような空気感の再現を得意としていることが、私の確信の第一歩だった。空気感は、時代を変えても揺らがないものだからだ。

2. アッシュ・リンクス

『BANANA FISH』最大の魅力は、なにより主人公アッシュ・リンクスの存在だ。ブロンドに翡翠色の瞳。天才的な頭脳と戦闘能力を備え、ニューヨークのストリート・キッズのボスとして君臨する美貌の少年。先端技術への適応力や大人顔負けの交渉力はもちろん、政治・経済への幅広い見識、ヘミングウェイやモーツァルトを愛する教養をあわせ持ち、その存在感で人を惹きつけてやまない、生まれながらのカリスマ。

しかし、多くの読者が共感したのは、その裏に秘められた過去と、それによっていまなお深く傷つけられながらも、折れることのないアッシュの反骨精神なのだと思う。

本名である「アスラン」の意味は「夜明け」――窓枠にひとり腰かけ、暗闇に広がっていく淡い光を祈るように見つめる彼の姿に、何度涙したことだろう。5月に公開されたアニメの第2弾PVのラストに登場するこのセリフが象徴的だ。

「やつがどんな手を使おうと必ず勝って、生き抜いてやる」

ここでアッシュの強い信念を抽出していることに、信頼を感じずにはいられない。

3. 君は1人じゃない

そして、そんなアッシュの心の奥深くに唯一触れることになるのが、もうひとりの主人公・英二だった。この作品について最も多く語られる「友情も恋愛も超えた結びつき」である。

「普通の少年」と語られがちだが、英二自身、インターハイ2位の実力を持つ棒高跳びの選手だった。怪我による挫折も経験している。言動をよく見ていると、アスリート特有のまっすぐさと頑固さが、アッシュの心を解きほぐしているのもわかる。たとえば『キリマンジャロの雪』のエピソード(コミックス第8巻)。ヘミングウェイの小説に登場する豹に自分をなぞらえ、死について語るアッシュに、英二は語りかける。

「人間は運命をかえることができる 豹にない知恵をもって そして君は豹じゃあない そうだろ?」

大人になって、さまざまな経験をしてあらためて思うのは、アッシュの不屈の精神にとって、英二の揺るぎない信頼がどれだけの支えだったかということだ。

掛け値なしに「きみならきっとできる。信じている」と言ってくれる存在に出会うことなど奇跡に等しい。それでも――その奇跡を信じるために、私たちは『BANANA FISH』を読む。

アニメの第2弾PVでは、その一端もまた読み取ることができる。PVのラスト、アッシュと英二が並んだカットが一瞬登場する。警察病院の鉄格子つきの窓の向こうに、自由の象徴のような空。怪我を負ったアッシュがベッドに横たわっている――ふたりで遭遇した最初のピンチから、英二の高跳びによって辛くも脱出したあとのシーンだ(アニメ第2話収録)。

「お前はいいな……あんな風に跳べて」

青空に羽ばたく白い鳥を見つめながら、アッシュはつぶやく。英二はそのあと、アッシュのそばを離れ号泣し、彼を見届けると決めるのだ。

「生き抜いてやる」というセリフのあとに、そのカットがさりげなくインサートされた。それだけで、ああ、やはり内海(紘子)監督はわかっていると深く安堵した。同じように感じた方は、きっと多かったのではないだろうか。

 

『BANANA FISH』アニメ化とともに発表された「監督:内海紘子、キャラクターデザイン:林明美、制作:MAPPA」という製作陣には、「狙いすぎでは」というわずかな不安もあった。

その感情には、既視感があった。男子競泳やフィギュアスケートの世界を描き、凄まじい人気タイトルとなった『Free!』や『ユーリ!!! on ICE』を”観る前”の感情である。いずれも作品ファンの女性たちの熱狂ぶりに気おされ、「女性向け」に苦手意識のある私は視聴者として出遅れている。

しかし、オープニング直後、その不安はすぐに覆された。そこに描かれていたのは人間の才能と成長の物語であり、普遍的な生き方や絆の物語だったからだ。

内海監督による『Free! -Eternal Summer-』が完結したときには、ラストシーンの歓声と「For the future」の文字に、嗚咽で息が止まりそうになった。作画がまず、息をのむほど美しかった。

そして演出だ。キャラクターを主人公の学校とライバル校のみの最小限に止め、彼らの「友情・努力(自分との闘い)」だけをていねいに追っていく目線。キーフレーズとリフレインを多用した、音楽的な構成。『BANANA FISH』と同時期、10代のころ飽くことなく読んでいた、理想のジュブナイルがそこにはあった。

内海監督といえば「筋肉警察」と呼ばれるほどの身体へのこだわりも有名だが、『BANANA FISH』では、それもよいほうに作用しているのがわかる。原作中盤の絵柄をもとに林明美が生み出した、現代版の美しいアッシュ。走る彼のしなやかな手足が、完成された青年ではない少年らしさを持っていることに驚いた。

年長のライバル、フレデリク・オーサーのがっちりした体格との対比も素晴らしい。机の上でペンダントをはじくシーンもいい。仲間の前ではボスとしての威厳を纏っているが、彼はまだ、17歳の少年なのだ。

その意味で、アッシュを若手声優の内田雄馬が演じることも幸運だった。『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』アイン・ダルトン役の熱演から期待はしていたが、実際にアッシュの声を聞いた瞬間、原作を読みながら刻んでいたリズムやトーンと同じであることに感激し涙が出た。

冷ややかな声の中に滾る勝気な少年らしさと、熱い反骨精神。ああ、アッシュは生きている人間だ、これが「命を吹きこむ」ということなのだ、と感じた。

制作発表会で若い内田をフォローしていたベテラン、野島健児(英二役)の存在感もキャラそのもので頼もしい。マックス役・平田広明やゴルツィネ役・石塚運昇の声からは、安心感のみならず、舞台設定の根幹である「外画っぽさ」まで漂ってくる。

また、中堅では貴重な「男くささ」という個性を持つ細谷佳正がオーサーを演じることで、彼のサリエリ的魅力についてあらためて考えたりもしている。こういう発見があるから、メディア展開って素晴らしい!

原作を読み返して、映像を観て、また読み返して――そんなふうに多くの原作ファンが楽しめたらいい。

そして願わくは新しい読者が、末永く『BANANA FISH』を愛してくれたらと、心から思う。

(LisOuef 2018.July vol.09 初出)

 

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