エリザベス1世、最後の愛|METライブビューイング「ロベルト・デヴェリュー」

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『ロベルト・デヴェリュー』(2016) ©Ken Howard, Metropolitan Opera

 

――英国熱がおさまらない、 ということでスタートした連載「エンタメでわかる英国史」。手はじめにこの夏、METライブビューイングのアンコール上映で見た「チューダー朝女王3部作」より、第1作『アンナ・ボレーナ』(アン・ブーリン)、第2作『マリア・ストゥアルダ』(メアリー・スチュアート)をご紹介してきた。

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スペイン王妃の幼馴染でもあったスコットランド女王、メアリー・スチュアートの処刑をきっかけに、スペイン無敵艦隊を迎え撃つことになったエリザベス1世

有名な「アマルダの海戦」はイングランドの奇跡的勝利に終わり、エリザベスのもとで英国は、ルネサンス文化の大輪の花を咲かせる。没後400年記念に沸くシェイクスピアが活躍したのも、彼女の治世だった。

 

§ 第3作『ロヴェルト・デヴェリュー』§

小国から大国へと突き進んでいくイングランドにおいて、「処女王」を掲げ自らを神格化、繁栄のシンボルとなったエリザベス1世(Elizabeth I, 1533-1603)

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マルクス・ヘーラルーツ・ジュニア『女王エリザベス1世』1592年頃 ナショナル・ポートレート・ギャラリー所蔵

 

とはいえ、若き日には幼馴染ロバート・ダドリーとのロマンスを知らぬ者はいなかったし、愛人としては、新大陸にヴァージニアを建設した冒険家ウォルター・ローリーなども有名。

このオペラのタイトルになっているエセックス伯ロバート・デヴルー(Robert Devereux, 1566-1601)もまた、そんな女王の晩年の愛人だった。

 

オペラは、おなじみの英国国歌ではじまる。「God Save the Queen(女王陛下万歳)」、とても意味深だ。

艶やかな黒に抑えたゴールドが映える、壮麗な舞台。両端にある囲いの外では、着飾った紳士淑女がシェイクスピアの円形劇場のように登場人物たちを囲み、つねに“鑑賞”している。*1

そんな舞台中央に、凛とした美貌をもつ女官がやってくる。ノッティンガム公爵夫人サラ(エリーナ・ガランチャ)。彼女は深い悩みがあるようだ。

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そこに女王エリザベスが登場する。

老いた女王はいまだその威厳を保ち続けているが、33歳年下の愛人デヴルー(マシュー・ポレンザーニ)には甘い。野心家デヴルーの望むがままに地位や財産を与え、政治においても望みをかなえてやっていた。

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ところがデヴルーは、アイルランドの反乱鎮圧の司令官を任されながらも勝手に和睦を結び、国家反逆罪で弾劾されてしまった。なんとか命を救いたいエリザベスだが、じつはデヴルーの心にはほかに思い人がいた。

そう、その思い人こそサラ。デヴルーの親友ノッティンガム公爵(マリウシュ・クヴィエチェン)の妻だった。

ふたりは思いあっているが、互いの政治的な立場をとって愛をあきらめる。デヴルーは女王から贈られた指環を、サラは礼拝用のスカーフを相手に渡し、愛の形見にする。

 

一方、ノッティンガム公爵は何も知らず、親友デヴルーの助命のため必死の弁護をしていた。*2

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しかし、親友と妻の裏切りを知って豹変。デヴルーの処刑が決定し、彼が持っていたサラのスカーフも奪われる。スカーフが恋敵のものだと直感したエリザベスはデヴルーを問いつめるが、彼は黙秘。激高した女王は処刑文書に署名するのだった。

サラは恩赦を乞うため、女王に指環を届ける。しかし、時すでに遅し。デヴルーは斬首されたあとだった。

 

「お前だったのか!」

手を振り上げながら必死にこらえる女王と、1ミリも逃げず怒りを受け止めようと顔を上げるサラ――ふたりの女の対峙は、白熱のシーンだった。

女王にしてみても、愛人と信頼する部下に裏切られた二重の苦しみだ。それでも彼女は女王としての威厳を優先し、感情のままに頬を打つなどしない。私は思わず、上に掲載した肖像画の金文字を思い出していた。

「彼女は与えるのみ、決して見返りを求めず。彼女は復讐できるが、決して復讐はせず」

狂乱のなかで絢爛たる衣装を脱ぎ捨て、白髪の老婆となった自分に向き合ったエリザベスは、薄い笑みを浮かべる。そんな彼女を包み込むように、あるいは残酷に、合唱が最後のことばを奏でる。それは、

「支配するものは 自分のためには生きられない」

というものだった。

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デヴルーの処刑の2年後、エリザベスは老衰のため崩御。後継者にはなんと、あのメアリー・スチュアートの息子ジェイムズを指名していた。

エリザベスの祖父ヘンリー7世が興したチューダー朝は、エリザベスをもって断絶した。

 

なんとも重い、しかし、深い共感をともなう幕切れだった。

エリザベスはある意味、情念から解放されたのではないだろうか。

彼女は、英国を繁栄させるという目的のためにひた走った。自らの結婚も外交の切り札として使い、ついには独身を貫いた。そして彼女は、絶対王制を敷いた父ですら成し遂げなかった勝利を英国に与え、平和と繁栄の礎を築いたのだ。

あの最後の笑みは、悲しみや諦め、赦しを一緒くたにした納得の表情だったのではないかと、私は思う。

「支配者として生き、支配者として死ぬのだ」

そんな悟りのように思えるからこそ、あれを「女としての悲しみ」などとというのは、女王にも失礼であるような気がする。実際、史実の女王は失策を犯してばかりの愛人を早々に見切り、メアリーのときより躊躇なく処刑に同意したと言われている。

オペラは当然、ロマンスをドラマティックに誇張する必要があるが、そこに甘んじずしっかりと史実をプロファイリングし、三部作を「エリザベス女王の物語」として作り上げていった演出家デヴィット・マクヴィガーとMETの偉業に、心からの称賛を贈りたい。

 

歴史や神話、古典文学をオペラという伝統芸能を、生き生きとした人間のドラマとして私たちに届けてくれるMETライブビューイング。

11年目の2016/ 17シーズンも、まもなく11月12日にスタートする。

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メイン・ヴィジュアルは新演出の『ばらの騎士』。元帥夫人役の大御所ルネ・フレミングとともに妖しい魅力を放つのは、今回と打って変わり、オクタヴィアン役の男装が似合いすぎる麗人エリーナ・ガランチャ。

 

第1作は、これも英国史、アーサー王の円卓の騎士のひとりが主役となるワーグナー『トリスタンとイゾルデ』。英国出身の巨匠サイモン・ラトルの指揮にも大注目だ。

「エンタメでわかる英国史」では、今後もオペラやドラマ、映画やマンガといったエンターテインメントを通して、「顔が見える、人間のドラマとしての歴史」をご紹介していきたい。

どうぞお楽しみに!

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*1:宮廷人、とくに女王の生活が公のものであり、私的なものではないことの暗喩か。

*2:公爵役クヴィエチェンはバリトンという声質上、よくコンビを組む「ポレンザーニ(テノール)に恋人を奪われてばっかり!」とぼやいていた。DVっぽい振舞いをしても地のいい人さ加減が垣間見え、あて馬男子好きとしては好感しかない。

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