『マリア・ストゥアルダ』(2013) ©Ken Howard, Metropolitan Opera
――英国熱がおさまらない、 ということでスタートした連載「エンタメでわかる英国史」。前回は、METライブビューイングのアンコール上映で見た「チューダー朝女王3部作」より、第1作の『アンナ・ボレーナ』(アン・ブーリン)をご紹介した。
ヘンリー8世が崩御するとエドワード6世が即位するが、16歳で病死。ついで最初の妻キャサリンの娘メアリー1世(エリザベスの腹違いの姉)が即位するが、この人も跡継ぎを残さぬまま病死する。ここにきて王冠は、アンの娘エリザベスの頭上に転がり込んだ。なんだか、アンの執念みたいで怖い気もする。
とはいえエリザベスは、“貫通者アン・ブーリンの娘”として王女から庶子(私生児)の身分に落とされたこともある苦労人。継承権の正当性をめぐって、つねに敵だらけである。本日のタイトルロール、メアリー・スチュアートもそのひとりだ。
§ 第2作『マリア・ストゥアルダ』§
さて、“エリザべス1世の宿敵” メアリー・スチュアート(Mary Stuart, 1542-1587)。現在BSプレミアムで放送中の『クイーン・メアリー 愛と欲望の王宮』の主役でもある、人気者のスコットランド女王である。
作者不詳『スコットランド女王メアリーの肖像』
メアリーは父王ジェイムズ5世の急逝により、生後1週間でスコットランド女王となった。母親は、フランス・ヴァロア王家の親戚にあたるマリー・ド・ギーズ。マリーは幼い女王の身を案じ、娘を実家の弟の許=フランス宮廷に預けることに。身分を隠し、修道院で育てられた女王は、16歳でフランス王太子フランソワ(のちのフランソワ2世)と結婚する。
萩尾望都『王妃マルゴ』では、そんな彼女がヴァロア家の王子や王女(マルゴを含むフランソワの弟妹)たちと親しげに語らう描写も登場する。また、メインキャラクターのひとり、アンリ・ド・ギーズ(👇)は、メアリーの従弟にあたる。
スコットランド女王にして、フランス王妃。
生まれながらの統治者にして、フランス宮廷で優雅な所作を身につけていたメアリーは、ギーズ家伝来の美貌もあいまってか支援者に事欠かなかった。そんなとりまきにそそのかされたのか、外交文書に「フランス、スコットランド、イングランド、アイルランドの統治者」と署名するようになる。
メアリーとエリザベスとは、遠い親戚でもあった。年齢差は9歳。エリザベスがメアリーを「わが妹」、メアリーがエリザベスを「お姉さま」と呼んでいたこともあったというのに、この行動は軽率だった。事態はあわや戦争か、というところまで緊張する。
しかし、メアリーに悲劇が訪れる。フランソワ2世がメアリーとの間に跡継ぎを残さぬまま、病死したのである。スコットランドに出戻ったメアリーは、ヘンリー8世の甥の子ダーンリー卿と再婚するが政治的に失脚し、夫は不審死、彼女自身は息子(のちの英国王ジェイムズ1世)と引き離され幽閉されてしまう。
メアリーは女王であることにこだわる人だった。なにしろ、物心ついてから女王でなかったことなどないのだから仕方がないのかもしれないが、とにかく妥協ということを知らなかった。
よせばいいのに彼女はスコットランドを逃れ、イングランドの「お姉さま」のもとへ亡命。エリザベスのもとでその後20年間、幽閉という名の軟禁生活を送ることになった。
オペラ『マリア・ストゥアルダ』は、この幽閉時代をモデルに描かれている。
幽閉時代、メアリー(ジョイス・ ディドナート/写真右)はイングランド各地を転々とし、軟禁状態とは思えないほど自由に近い、静かな生活を送ることを許されていた。しかしメアリーは、国内外のカトリックと密かに連絡を取り合い、陰謀を巡らせることをやめなかった(オペラはカトリックの国イタリアで作られたためか、「自由になりたい」というメアリーの純粋さが強調されている)。
やがてエリザベス暗殺計画が発覚し、メアリーを愛するレスター伯(マシュー・ポレンザーニ/写真右)はエリザベス(エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー/下)に助命を乞う。レスター伯を想っていたエリザベスは、彼の心を知って嫉妬にかられる。
「誰も彼もがあの女狐を好きだという。どんな手管を使うのか……」
演出のマクウィガーと美術/衣装デザインのマクファーレンは、ともにスコットランド出身。モノトーンに赤が効いた舞台の後方では、英国の国章をモチーフにしたライオン(イングランド)とユニコーン(スコットランド)が雄叫びを上げている。
フォザリンゲイ城の森で、和解のチャンスとなるふたりの女王の会見をお膳立てするレスター伯。しかし、エリザベスの高圧的な態度に我慢の限界に達したメアリーは、エリザベスに向かって決定的なひとことを投げつける。
「不浄なアン・ブーリンの庶子のくせに!」
ここにきて、“純粋なヒロイン”が馬脚を現す。お姫様育ちの誇り高い彼女には、ケンカに負けて勝負に勝つといった腹芸はできず、自滅することとなるのだ。
一方、幼いころから苦労を重ね、一流の政治家となったエリザベスにとって、母の汚名と死は、生涯消えないトラウマだっただろう。エリザベスはつねに「ヘンリー8世の娘」と名のり、母の名を口にすることはなかったという。メアリーがひどい侮蔑のひとことを叫んだあとの静寂に、観客である私たちもまた、
「ああ、これはエリザベス1世の物語だったのだ」
と気づくのである。
史実では、ふたりの女王が対面することはついになかったという。エリザベス1世は「わが妹」の死刑執行書への署名を渋りつづけたが、結局1587年、フォザリンゲイ城のグレートホールでメアリーは処刑された。享年44歳。
なお、「アマルダの海戦」で有名なスペイン無敵艦隊のイングランド派兵は、この処刑がきっかけだったともいわれる。スペイン王フェリペ2世の3人目の妻エリザベート・ド・ヴァロアが、フランス王妃時代のメアリーの義妹にして幼なじみだったからである。
このスペイン王と王妃の物語は、ヴェルディのオペラ『ドン・カルロ』へとつながるが、これはまた別の機会にご紹介したい。
「エリザベスを赦します」と穏やかに微笑んで処刑台へ旅立ったメアリー。
演じるディドナートの歌唱がすばらしすぎるがために、号泣しつつ、安寧を祈りつつ幕切れを迎えた『マリア・ストゥアルダ』だったが、私がメアリー・スチュアートという人物に感じるのは、少女性が抱える負の側面だ。
美しく誇り高く純粋、そのぶん頑迷で、奔放で、自分本位。大局を見ることが苦手なくせに、どこか小賢しい――おそらく私自身もそうだったであろう、少女時代の愚かさを目の前につきつけられるような、苦い味わい。
もしかしたらだからこそ、メアリー・スチュアートは愛されるのかもしれない。それでも、いまの私ははっきりと、エリザベスをいとおしいと思うのだ。
次回はいよいよ、エリザベス最後の情熱と結末を描いた『ロベルト・デヴェリュー』について。
答えは、最後のことばにあるのかもしれない。
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*1:ちなみに、よく知られたあだ名「ブラッディ・メアリー」は、メアリー1世につけられたもの。スペイン王家出身の母の影響でガチガチのカトリックだった彼女は、国内のプロテスタントを虐殺したからだ。メアリー・スチュアートのものと勘違いしている方も多いようなので、念のため書き留めておこう(まったくまぎらわしい!)。