Memories & Discoveries 25/04「花言葉をたずねて」

この2月、新国立劇場で愛するアレックス・オリエ版『カルメン』の再演に接した。

舞台は現代のフェス会場。歌姫カルメンはステージを「ハバネラ」で沸かし、一人きりの楽屋ではギターで「第3幕への間奏曲」を爪弾く。印象的なアイメイクと、ルブタンのパンプス。ペンライトの光の海。彼女を見るたび自由に生きて、自由に死にたいと思う。

オペラの幕間、ホワイエでグラス片手にプログラムを開くと、興味深いコラムを見つけた。フランス文学者・永井典克氏による「バラか、アカシアか? メリメ作品中の花から見る『カルメン』」。カルメンはステージから、ホセに赤いバラの花を投げる──それが二人の悲劇のはじまりになるのだが、プロスペル・メリメの原作小説に描かれた花は異なるのだという。

メリメはその花に、どんな意味や思いをこめたのか。そもそも花言葉とは、どうして誕生したのか。目から鱗のエピソードが満載で、思わず読みふけってしまった。そして、あらゆる音楽の中にメタファーとして現れる、「花言葉」を知りたくなった。

季節は春。美しい花々が咲き誇るいま、音楽家たちが「花言葉」にこめた、無言のメッセージを考察してみよう。

1) ビゼー:歌劇『カルメン』より ハバネラ「恋は野の鳥」(4/15放送分)

『カルメン』はメリメの小説を原作に、1875年、ビゼーが発表したオペラだ。カルメンが登場シーンで歌う「ハバネラ」は、歴史上のオペラ・アリアの中でも最もポピュラーな1曲だろう。このときカルメンは花を手にしていて、歌い終わるとその花を憲兵隊の伍長ホセに投げつける。反発しながらも恋に落ちてしまったホセは、その花を捨てることができない。

このカルメンの花は赤、なんなら真紅のバラの花のイメージが根強い。「情熱」の花言葉で知られるバラが、カルメンの奔放なキャラクターとあまりに一致しているからだろう。しかし、本来はそうではなかった。彼女ホセに投げつけたのは、なんと「アカシアの花」だったのである。

メリメが書いた「アカシアの花」とはcassieつまり花屋で売ってるミモザである。ミモザは「友情」や「感謝」の花言葉で知られ、毎年3月の国際女性デーで目にするシスターフッドの象徴でもある。『カルメン』は自由とシスターフッドの物語だ、と感じている現代の私たちにとっては、一周まわって腑に落ちる話かもしれない。

しかし、19世紀を生きていたメリメにとっては違う意味があった。メリメにとって、ミモザは「精神的な愛」を意味する花だった。彼は自分と初恋の少女との経験を踏まえてカルメンにミモザを持たせ、以後の改変を禁じたという。

そしてビゼーにとっては、バラにこそ意味があったかもしれない。バラは今でこそ「情熱」の花だが、当時は「母性」とのつながりから聖母マリアとの結びつきが強かったというのだ。そのバラを、いくら舞台映えするからといってカルメンのような(不道徳な)女性に持たせていいものか。そうした旧弊な批判に、ビゼーは反発した。ビゼーは『レ・ミゼラブル』の時代を生きた革命の闘士であり、彼にとってカルメンは、自らが信奉する「自由」の闘士だったからだ。

ビゼーの死後、映画や舞台を通して「カルメン=赤いバラ」のイメージが確立した。ビゼーの思いと裏腹に、そのイメージはカルメンに「魔性の女」というレッテルを張りつける結果にもなった。近年はこれを打ち破り、黄色いミモザを採用しているプロダクションも多いという。この状況を、メリメやビゼーはどんなふうに見ているだろうか。

動画は、メトロポリタン歌劇場で歌うエリーナ・ガランチャ姐。男前なカルメンが持つのは赤いカーネーションのようにも見えるが、追及は別の機会に譲っておこう。

2) シューマン:歌曲集『ミルテの花』より 献呈(4/16放送分)

クラシック音楽の世界でよく目にする花といえば、「ミルテの花」と「ライラック」だろう。どちらも日本では馴染みがない花だが、作曲家たちが暮らしたヨーロッパでは季節を告げる存在だ。

ミルテ(Myrte)は夏に咲く白い花で、日本名は銀梅花。その字のとおり梅に似た可憐な姿をしている。ハーブティーがお好きならば、英語のマートルという名で馴染みがあるかもしれない。

この花は、古来花嫁のブーケに欠かせないと言われるほど、「結婚」や「不滅の愛」と深く結びついている。音楽の世界でも、もちろん結婚を暗示していて、たとえばヨハン・シュトラウスの『ミルテのワルツ』はヴィクトリア女王、シュトラウス2世の『ミルテの花輪』はフランツ・ヨーゼフとエリザベート、そして『ミルテの花』は皇太子ルドルフの結婚式を記念して作曲された。

シューマンの『ミルテの花』もまた、結婚の記念に作曲された歌曲集だ。時は1840年9月12日の結婚式前日。捧げたのは自身の妻となるクララ・ヴィーグ。珠玉の歌曲を束ねた「音楽のブーケ」に花の名をつけ、「愛する花嫁へ」と書き添えて贈る──作家でもあったシューマンのセンスのかたまりのような作品だと思う。

二人の結婚裁判でも一肌脱いだフランツ・リストのピアノ編曲版もいいが、動画ではファトマ・サイードの美しい歌唱を。「献呈」の途中で挿入される「アヴェ・マリア」のメロディに、せつなくなるのは私だけだろうか。

3) ドビュッシー:リラ(4/17放送分)

ライラック(Lilac)はフランス語で「リラ」と呼ばれる。その花言葉は「思い出」や「初恋」。

神々しく咲くおまえ リラの花よ
私はおまえを讃えよう ほんのわずかな間しか おまえは咲かないのだから

ドビュッシーの初期の歌曲の一つである『リラ』の歌詞や音楽からは、どこか日本人と桜の関係に似た、ライラックの存在感が浮き上がってくる。

音楽の世界で、ライラックは喪われた人や恋、幸福と結びつけられる。たとえばヒンデミットの『前庭に最後のライラックが咲いたとき 愛する人々へのレクイエム』やショーソンの『愛と海の詩』、ラフマニノフの『リラの花』といった作品には、喪失と再生、あるいは控えめでかけがえのない幸福のイメージが漂う。決して手放しの歓喜ではない音楽のイメージは、春の象徴であるのに、すぐにいなくなってしまう花の儚さと結びついているのだろう。

花も音楽も、そこにあるだけで人の心を慰める。

けれど人の創作にはかならず「描く理由」があって、その意味を考えたとき、私たちは新しい物語の扉に出会える。

収録中、早見沙織さんが「画面に描きこまれた花の意味が、台本のト書きにしっかり書いてある作品がある」と教えてくれた。演者たちはその意味をくんで、それぞれのキャラクターを演じているという。この夏の放映が楽しみでならない。

 

クラシック・プレイリスト、次回は4月29日よりオンエア予定です。テーマは「トランペットの世界」。毎朝5時台、JFN系列38の全国FM局のほか、radikoタイムフリーでもお聴きいただけます。

出演|Memories & Discoveries

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