Memories & Discoveries 23/07「モーツァルトの光と影」

早見沙織さんとの楽しいおしゃべりでお届けする「クラシック・プレイリスト」。7月は「モーツァルトの光と影」をテーマに、わが生涯最愛の音楽家について語り合った。

収録の少し前、東京フィルハーモニー交響楽団の定期公演で協奏交響曲を聴いたことがきっかけだ。ヴァイオリンに三浦文彰、ヴィオラと指揮にはマエストロ、ピンカス・ズーカーマン。第1楽章、涙のまま駆け出すような上昇音型に心を掴まれ、やがて舞い降りた2台の音の輝きに泣きたくなった。

「私の根幹にあるのはやっぱり、モーツァルトの音楽なのだ」と痛感した。そして、何がこんなに自分を揺さぶるんだろうと考えたとき、その音楽がもっている二面性のせいかもしれないと思い当たった。

モーツァルトはまさにアンビバレント(ambivalent)。軽さが沈み、重さが浮かぶのだ。

早見さんとは『F ショパンとリスト』の脚本執筆中に出会ったこともあり、モーツァルトについて語ったことがない。長調と短調の名曲を紹介しながら、彼の音楽に揺らめく「光と影」を解き明かすことにした。

1)モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364 第1楽章(7/11放送分)

協奏交響曲(シンフォニア・コンチェルタンテ)は、モーツァルト若き日の修行時代、パリで大流行していていたスタイル。名曲中の名曲がこのk.364だが、ヴァイオリンとヴィオラの名手2人が揃わないと上演できないため、実演は貴重だ。

とくに愛されているのが、もの憂げな短調の第2楽章。内省と解放が危い均衡を保ち、絡み合う2台の響きは官能的ですらある。

ご紹介した第1楽章は逆に、いかにも古典派の明るい響きだ。しかし、澄み切った空に雲が影を落とすように、突然どきりとするような感情の奔流がやってくる。

2分すぎ、オーケストラが高揚したあとの静寂に、ユニゾンで登場する2人のソリストのバディ感もいい。4分過ぎで、ヴァイオリンとヴィオラが相次いで上昇していく、メロディのかけあいもたまらない。世紀の名手同志だと、そのかけあいはいたって対等だ。イツァーク・パールマンと共演するズーカーマンの、オラオラ感溢れるヴィオラがやみつきになった。

何度聴いても初めてのように恋してしまう、天才への陶酔。こんなに迸るような悦びをくれるのは、モーツァルトしかいない。

2)モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番K.488 第2楽章(7/12放送分)

1786年、自身の予約音楽会のために作曲されたコンチェルトの緩徐楽章だ。

調性は嬰ヘ短調。ため息のようにアンニュイなピアノソロからはじまる、「短調のモーツァルト」。物思いに沈んだように静かで短い曲だが、シチリアーノのリズムやメランコリックな旋律から、イタリア的な光と影のドラマを感じる。

前回は長調の中にふと感じる陰影の話をしたが、今回はその逆だ。この短調のアンダンテの中にはいつも、曲全体のトーンであるイ長調の響き——一瞬の明るい陽光のような音が見え隠れする。

「短調のモーツァルト」は人気があり名曲ぞろいだが、じつは楽曲全体の4%程度に過ぎない。この割合は、ベートーヴェンで22%、メンデルスゾーンで40%、ラフマニノフに至っては80%から100%にまで増えていく。古典派からロマン派、20世紀へと、長調と短調の割合が逆転するのだ。これは、「人を楽しませる」ための音楽が「自分自身を語る」ものへと変遷した証といえるだろう。

だとすれば「短調のモーツァルト」は、どんなときも光をあきらめない、モーツァルトそのものかもしれない。フリードリヒ・グルダのピアノはそんな作曲家と対話するように深く、心に響く。

3)モーツァルト=リスト:アヴェ・ヴェルム・コルプス(7/11放送分)

1891年、35歳のモーツァルトが、妻コンスタンツェの療養を世話した合唱指揮者アントン・シュトルのために作曲した合唱曲だ。わずか46小節の小品だが、絶妙な転調による厳かさな響きが胸に沁みる。

18歳の夏、モーツァルトの生誕地ザルツブルクをはじめて訪れた。湖畔の宮殿へサマースクールに通い、放課後は音楽祭へ。夢のような夏だった。ある週末、木漏れ日と鳥の声に満ちた静かな通りで、かすかに漏れるパイプオルガンの音に扉を押した小さな教会。そこで出会ったのがこの曲だった。

シンプルで、静謐で、この世のものとは思えないほど美しい、モーツァルトだけの音。打ち震えるような気持ちで合唱を聴き、教会を出た。脈打つ鼓動を感じながら、絶対またここに来ようと心に誓った。

モーツァルトは、ベートーヴェンのように「怒れ」とは言わない。シューベルトのように「迷っています」とも言わない。鬱屈を抱えながらも「さあ、どこへ向かおうか?」と笑顔で問いかけるような包容力が、彼の最大の魅力だと私は思う。

眠れない夜、アレクサはよく、オラフソンのこの演奏を流してくれる。私ははっとして考えるのをやめる。

フランツ・リストによるピアノ用の編曲は、珍しく音数が少なく、祈りに満ちている。もしかしたらリストもまた、モーツァルトの包容力に救われたのかもしれない。

 

クラシック・プレイリスト、次回の担当分は8月29 日よりオンエア。テーマは「エリザベート1878」です。毎朝5時台、JFN系列38の全国FM局でOA。radikoタイムフリーでもお聴きいただけます。(※放送終了)

出演|Memories & Discoveries

Scroll to top