生誕150周年を記念し、今年アメリカ各地でラフマニノフのピアノ協奏曲全曲演奏を成し遂げたユジャ・ワン。
カーネギーホールでは、ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団と共演。師ゲイリー・グラフマンや、恋人の新進指揮者クラウス・マケラに見守られステージに現れた彼女は、会場を大興奮の渦に巻き込んだ。カーテンコール中には、マエストロが舞台上でユジャに向かってひれ伏し、絶対的尊敬の念を表したという。
「10年か15年前にあった彼女のファッションに関する議論はもうすっかり落ち着いていて、衣装替えすら楽しむことができたし、彼女は作品にふさわしいパートナーになった」-ニューヨーク・タイムズ
「会場には8歳ぐらいの女の子がいた。22世紀のある日、この夜のことを人々に話している姿を想像してしまった」-ニューヨーク・クラシカル・レビュー
もはや伝説としか言いようがない賛辞が、その周囲を飛び交う。こうした熱狂を垣間見るたび、ああ、その場で味わいたかったと思う。歴史に残るスターたちの輝き、カリスマ的存在感は、それだけでインスピレーションを刺激する。
「ユジャ=ラフマニノフ」のイメージだが、春の新譜もご機嫌だったので、合わせてご紹介しよう。
1)エイブラムス:ピアノ・コンチェルト(5/30放送分)
作曲家で指揮者、そして長年の友人でもあるテディ・エイブラムスが、ユジャ・ワンのために作曲した新作『ピアノ・コンチェルト』が世界初録音された。
1987年中国生まれのユジャ・ワンは、フィラデルフィアのカーティス音楽院で学んでいる時、同い年のエイブラムスに出会った。エイブラムスは11歳の時、サンフランシスコでマイケル・ティルソン・トーマスから最初の指揮のレッスンを受けた神童。新作にはゴスペルからラテン・アメリカ音楽までの様式が含まれ、アメリカの音楽文化の豊かさを教えてくれる。そしてユジャのソロ・パートでは、エイブラムスが彼女の能力をいかによく把握しているかがはっきりとわかる。聴きごたえのあるカデンツァが数回も得いこまれているのも、ユジャを「現在の最も偉大なピアニスト」と称える作曲家ゆえだろう。
スイングからはじまり最初のカデンツァへ。自由な音の奔流が心地いい。
2)ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番より 第1楽章(5/31放送分)
ラフマニノフの音楽には壮大な音と精神があり、それはソロ・ピアノとオーケストラのための協奏曲で特に顕著になる。
ユジャはキャリアの初めからそれらの作品に熱心に取り組み、“オーケストラの波に乗ること”、そして音楽の誠実さや旋律の美しさ、真のロシアらしさを楽しんでいると語っている。
大ヒット作である第2番の心奪われるロマンスも捨てがたいが、最も惹かれるのは第3番の渦巻く激しさだ。そこでは、ユジャの大胆な想像力や芸術性が輝かしく披露されている。オンエアでは、同世代の天才指揮者ドゥダメルとのエキサイティングでスリリングな演奏をご紹介した。心底酔わされるはず。。
3)ラフマニノフ:ヴォカリーズ(6/1放送分)
幕切れは密やかに、ユジャ・ワンのピアノを味わおう。
「ヴォカリーズ」とは「母音を用いて歌う歌詞のない発声練習」のこと。見えないものや精神的なものを表現する「象徴主義」が広がりはじめた19世紀末、この「歌詞のない歌」は単なる練習曲ではなく芸術作品として扱われるように。ラフマニノフも1915年、「ヴォカリーズ」を作曲した。
彼は出来上がった楽譜を手に、ソプラノ歌手ネジダーノヴァの元を訪ね、助言を求めた。ネジダーノヴァが「こんなに美しい旋律なのに、どうして歌詞がないの?」と尋ねると、ラフマニノフは次のように答えたという。「なぜ言葉が必要なんです? あなたは自分の声で、言葉より遥かに素晴らしく、たくさんのものを表現できるのに」。
それは、ユジャ・ワンのピアノにもふさわしい言葉だ。タペストリーを編むように絡み合いながら、徐々に下降していく和音。その静かな下降一つがドラマを紡ぐ。
その優雅な抒情性に気づいたとき、私たちはもう魅了されている。
クラシック・プレイリスト、次回の担当分は7月11 日よりオンエア。テーマは「2つのモーツァルト」です。毎朝5時台、JFN系列38の全国FM局でOA。radikoタイムフリーでもお聴きいただけます。(※放送終了)