生誕90年を迎えたミシェル・ルグラン(Michel Legrand, 1932-2019)。
ルグランといえば、『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』などで知られるフランス映画音楽の巨匠だ。パリに生まれ、パリ音楽院でピアノと作曲を学んだ彼は、1950年代にはピアニストとしてマイルス・デイビスらと共演したジャズ・プレイヤーでもあった。
同じ頃、映画音楽へも進出した。ジャン=リュック・ゴダール作品などを手掛けた後、ジャック・ドゥミ監督とミュージカル映画に挑戦。女優カトリーヌ・ドヌーブの出世作となった『シェルブールの雨傘』(1964)の主題歌が世界的に大ヒットし、その後も世代を超えて愛され続けている。
私自身、パリを夢見る10代の頃にこの映画と音楽に出会い、遥かなる1960年代の空気に憧れた。
文系少女の通過儀礼のようなこれらの作品を一度、早見さんともお話してみたかった。2月24日の誕生日を記念し、ルグランが愛される理由を探りにいこう。
1)ロシュフォールの恋人たち(1/30放送分)
『ロシュフォールの恋人たち』は、1967年に公開されたジャック・ドゥミ監督のミュージカル映画。フランス西南部の海辺の街ロシュフォールを舞台に、パリでの成功と恋を夢見る美しい双子の姉妹と、周囲の人々の恋模様を描いた名作だ。
主演は『シェルブールの雨傘』のカトリーヌ・ドヌーヴと、ドヌーヴの実姉フランソワーズ・ドルレアック。音楽はもちろん、ミシェル・ルグラン。
曲が登場するのは、映画の冒頭。年に一度の祭りを控えた町の広場に若い男女が到着し、車から降りて踊り出す。資材を抱えた彼らは、祭りのためのキャラバン。〈キャラバンの到着〉というタイトルでも知られる、映画のテーマ曲だ。
このシークエンスに、『ラ・ラ・ランド』(2018)の冒頭シーンを思い出す人も多いだろう。朝の渋滞のクラクションが音楽になり、一台の車から女性が降りて歌い出すオープニング・ナンバー 〈Another Day of Sun〉は、デイミアン・チャゼル監督による本作へのオマージュだと言われている。
ご紹介した音源は、久石譲が日本フィルとの共演で録音したオーケストラ編曲版。こうして音楽は「クラシック」になっていく。
2)愛のケーキの作り方 映画「ロバと王女」より(1/31放送分)
『ロバと王女』は、1970年公開のミュージカル映画。
ジャック・ドゥミ/カトリーヌ・ドヌーブ/ミシェル・ルグランの黄金トリオによる3作目は、シャルル・ペローの童話『ロバの皮』を原作とするカラフルで美しい寓話ファンタジーだった。当時、フランス最大のヒットを記録したという。
主人公は、結婚から逃れるためロバの皮をかぶった美しい王女。森小屋に隠れ住んでいた「ロバの皮」は、偶然通りかかった王子と恋に落ちる。恋の病にかかった王子は、病床から「ロバの皮」にお菓子を作ってくれるよう頼む。そのレシピをそのまま歌にしたのがこの曲だ。
今…… 今このときに
途中で…… こねている途中で しのびこませるの
彼のために 婚約者のために
願い…… 愛に気づいてもらえるよう願いをこめて
間に…… 生地を休ませている間に 器にバターをぬって
そして焼くの 1時間焼くの
「ロバの皮」はケーキの中に自分の指輪を入れて焼き、それを発見した王子はその指輪がぴったりと合う女性と結婚すると宣言。王国中の娘たちが城に集められ、最後に残ったのは卑しい「ロバの皮」。しかしその指に指輪がぴったりとはまり、めでたしめでたし……。
少女時代、パリの特番やお菓子作りの場面に必ず流れていた曲だ。今もバレンタインデーが近くなると、ふと聞きたくなる。
音源は、ナタリー・デセイ『ミシェル・ルグランを歌う』より。ナタリーはオペラを引退してから、こうしたフランス歌曲を数多く録音している。作曲家とのデュエットも嬉しい、おすすめの1枚。
3)The summer Knows(夏は知っている)(2/1放送分)
最終日にご紹介したのは、1971年のアメリカ映画『思い出の夏(Summer of ’42)』の主題歌。
ルグランは、この曲で第44回アカデミー作曲賞を受賞しているのだが、同時に「映画の試写後5日で作曲してくれと依頼され、数時間で完成させた」という伝説も有名だ。
思春期の少年のひと夏がテーマだという映画を、残念ながら私は見たことがない。しかしこの曲には人生で何度も出会っていて、はじめて聴いたのは、アメリカのソプラノ歌手ジェシー・ノーマンのアルバムを通してだった。ご紹介した音源は、村治佳織さんのギター。今はほとんど上演されないバロック時代のオペラの、アリアだけが愛唱されるように、たくさんの音楽家が録音を残している。
ルグランはなぜこれほど、音楽家に愛されてきたのだろう?
「映画音楽」はもともと、ロマン派の延長線上に生まれた。その作曲家たちがいわゆる「クラシック」の歴史に編入されて久しいが、ルグランはもっとも早い段階から、クラシックの歌手たちに愛唱されていた印象がある。
前述のとおり、ルグランの出発点はクラシック。パリ国立高等音楽院で、作曲家にして名教育者のナディア・ブーランジェに師事していた。つまり、バーンスタインやピアソラと同門だ。晩年に取り組んだ大きな仕事も、クラシック技法を駆使したピアノ協奏曲だった。ジャズや映画音楽のテイストと現代音楽が織り交ざりながら、あくまで洒脱で美しいルグランのコンチェルト。それを聴いていると、ルグランを演奏したがる音楽家たちの気持ちがわかる気がする。
久石譲の音楽にも、その遺伝子は息づいている。ルグランを愛した作曲家の言葉が、謎を解く鍵を握っているのかもしれない。
ミシェル・ルグランさんは、非常にしっかりした技術を持っていた。それにフレンチ風のエスプリが相まって、時代をきっちり作った作曲家だった。
(中略)映画音楽に作家性が求められた時代は過ぎた。今は俳優が泣いたら悲しい音楽が流れるような効果音楽になってしまった。
映画音楽に再び作家性が重視される時代は必ず来るだろう。ただルグランさんの死は、一つの終焉だ。美しいメロディーが要求された良き時代は、二度と戻らない。でも、彼が残した遺産を私たちはいつでも享受できる。
クラシック・プレイリスト、次回の担当分は5月30 日よりオンエア。テーマは「アメリカン・プロジェクト」です。毎朝5時台、JFN系列38の全国FM局でOA。radikoタイムフリーでもお聴きいただけます。(※放送終了)