声優・早見沙織さんとの楽しいおしゃべりでお届けする「クラシック・プレイリスト」。
9月は「エニグマを探して」と題して、秋めく空気にぴったりの音楽ミステリーを特集した。
「エニグマ(謎)」という名を冠したエルガーの変奏曲から、とある推理小説のトリックとなったパガニーニの難曲まで。楽譜に潜んだ暗号や天才音楽家の秘密に、ミステリーを愛する“探偵”二人が挑む。
1) エルガー:エニグマ変奏曲 主題と第1変奏:C. A. E.(9/20放送分)
ある夜、エルガーが食後に何気なく思いついたメロディを弾いていると、妻のキャロライン・アリスが「今の曲、もう一度聴きたいわ」と言った。そこでエルガーは共通の友人たちを思い浮かべながら、「あの人だったら、こんな風に弾くだろう」と即興演奏を繰り広げた。この曲は、そんな幸福な一夜から生まれた変奏曲だ。
夫妻は、ミステリーを愛する英国人である。14の変奏曲にイニシャルや愛称を付記し、全体に「謎解き」を意味する「エニグマ」の名を冠した。「各変奏曲のモデルは誰でしょう?」というのがよく知られた「エニグマ」であり、謎解きはすでにほぼ完了している。 そうして各変奏曲は、“音楽の肖像画”としてモデルとなった友人たちに献呈された。
ところがエルガーは、第二の「エニグマ」の存在を告白している。「主題とは別に、曲全体を貫く陰の主題」があるというのだ。
その謎については説明しまい。その「陰の声」については想像できないようにしておこう。 諸君に警告しておくが、変奏と主題のつながりは、ごくわずかなテクスチュアの問題でしかない。そして曲全体を、もう一つのより大きな主題が貫いているのだが、それは演奏されることはない。
まるでエラリー・クイーンの小説に出てくる「読者への挑戦状」のように不敵で、謎めいた言葉だ。
エルガーは「陰の主題」の基になっているのが「さる有名な旋律」であることも仄めかしている。英国国歌や「オールド・ラング・サイン(蛍の光)」「ルール・ブリタニア」など仮説はいろいろ立ったが、21世紀の今も解明されていない。まさに「エニグマ」こそ、謎の中の謎である。
ちなみに、主題から切れ目なく演奏される「第1変奏 “C.A.E.」のモデルは誰だろう?
C.A.E. を知る人は、この変奏が彼女を表していると理解するだろう。 彼女の人生は、神秘的かつ優雅に、私の創作意欲を刺激する。
もうおわかりだろう。キャロライン・アリス・エルガー、作曲家最愛の妻である。
2) バッハ:「フーガの技法」より 未完成のフーガ(9/21放送分)
2日目は有名な「BACH主題」の謎を例に、楽譜にこめられたミステリーをご紹介した。
「BACH主題」とは、変ロ-イ-ハ-ロ(英語音名:B♭-A-C-B♮)の4音の連なりのこと。ドイツ語の音名「 B」は英語でいう「 B♭」、そして「H」が「B♮」示すため、4つの音でバッハ(Bach)のスペルを音で綴ることができるのだ。フランツ・リストなど多くの作曲家がこの主題を用い、ヨハン・ゼバスティアン・バッハへの敬意を表現している。
その主題は長年、「バッハ自身が死の直線に書き残した」とされてきた。その問題作こそが「未完成のフーガ」。バッハが晩年、およそ10年にわたって作り続けた未完の大作「フーガの技法」の最終部分である。
実際、そのフーガは第239小節目、3つの主題が重なって登場した直後に突然中断されている。そして自筆譜には、バッハの息子であるC. P. E. バッハによって、「作曲者は、BACHの名に基く新たな主題をこのフーガに挿入したところで死に至った」と付記されている。
しかしこの書き込みは、現代の学者たちにとっては“伝説”である。なぜなら、その自筆譜がバッハ自身の手によって書かれたことが、鑑定によって明らかになっているから。
じつはバッハは最晩年の1750年、視力の悪化のため自分で音符を書くことができなくなった。つまり、バッハの手によるものと確定しているこの「未完のフーガ」は、視力悪化より前の1748年から1749年の間に書かれているのだ。その途中で死に至るはずがないのである。
こうした「楽譜のミステリー」は、絵画の謎と同様、新技術が生まれるたびに新発見をもたらしてくれる。今後も注視したいジャンルだ。
2) パガニーニ:モーゼ幻想曲(9/22放送分)
最終日にご紹介したのは、ある難曲に潜むミステリー。
難曲の名は通称「モーゼ幻想曲」。正式名称「ロッシーニのオペラ『エジプトのモーゼ』による主題と変奏」は、悪魔と呼ばれた奇才パガニーニによって、1819年頃に作曲されたヴァイオリンとオーケストラのための曲である。
ヴァイオリンの4つある弦(EADG)のうち、一番低いG線だけで演奏される難曲で、その上最低音を響かせるため調弦を変えるので、楽譜と音が半音ズレてしまう。演奏するヴァイオリニストは、耳と頭がクラクラするのだそうだ。
そんな逸話を知ったのは、ポール・アダムの小説『ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密』(創元推理文庫)がきっかけだった。
探偵役のヴァイオリン職人が暮らすクレモナで、パリのアートディーラーが殺される。被害者の財布にはこの「モーゼ幻想曲」の楽譜が、そしてホテルの金庫にはモーゼを彫刻した小箱が残されていた。職人は楽譜と箱の符号に注目し、暗号を解くように箱の鍵を開けようとするがうまくいかない。その理由は───そう、チューニングのズレだったのである。
半音ずらしてようやく小箱が開くという展開には、作者の音楽愛を感じずにはいらなかった(番組で見事にこの謎を解いてくれた早見“探偵”にも、同様の愛を感じた)。
物語はこれが序盤で、事件はめくるめく歴史ミステリへと展開していく。興味を持たれた方は是非ご一読いただきたい。
クラシック・プレイリスト、次回の担当分は10月25日よりオンエア。テーマは「女王たちのアリア」です。
毎朝5時台、JFN系列38の全国FM局でOA。radikoタイムフリーでもお聴きいただけますので、どうぞお楽しみに。