アイリーン・アドラーという女|シャーロック・ホームズ シャドウゲーム

だれにだって「あこがれヒロイン」がいるとおもうのですが、あなたならだれを選ぶ?

わたしは昔からヴィクトリア朝のロンドンと、ホームズと、彼の「美しきエレーヌ・アドラー」がだいすき。 それでいて峰不二子――「いい女っていうのはね、自分で自分を守れる女よ」リスペクトも生半可ではないので、ガイ・リッチー監督が二次創作したホームズ映画のヒロイン、アイリーンには当然のブラボーでした。

今回は彼女をテーマに、公開中の『シャーロック・ホームズ』シリーズ(Sherlock Holmes, 2009/ 2011)のお話を。

■ファッション、身のこなし、声

「この時期のロンドンは寒すぎるわ。ニュージャージーが恋しいわけじゃないけど、でも『冬の旅』のほうがすき」

ガイリッチー版ホームズのアイリーン・アドラーは、眠るホームズの部屋に侵入しくつろぎながら、わたしたちの前に登場する――刺繍入りのハンカチ。薔薇色のバッセル・ドレス。そのドレスを裾から覗かせた、ロイヤル・ブルーのケープ――第2作でも、冒頭の雑踏のなかで彼女の美しい青のケープと腰のラインが大写しになった瞬間の陶酔感といったら! 身のこなしは優雅、紅茶を飲むしぐさはコケティッシュ。そしてホームズとのあいだに漂う、なんともいえない“共犯者”の雰囲気。だれもがルパンと不二子を想像した、そんな瞬間だ。

原典にあたっていないから確実じゃないけれど、彼女のいう『冬の旅』ってシューベルトの歌曲集のことかな、とわたしは理解している。なぜならアイリーンの表の顔は「元・オペラ歌手」だから。

「どれ、見せたまえ。――フム、1858年米国ニュージャージーの生まれ、コントラルト歌手、スカラ座出演、フム! ワルシャワ帝室オペラのプリマドンナ……歌劇壇引退……ホウ、目下ロンドン在住か、なるほどね! そうしますと陛下、この若い人物と煩わしい関係をお持ちになりまして、問題をおこしそうな手紙をお与えになりましたので、それをいまはとりもどしたいとお望みなのでございますな?」

アイリーン・アドラーはコントラルト!  はじめて読んだときは驚愕した。これはナタリー・シュトゥッツマンのようなかなり低く、渋い声域。『冬の旅』を歌うのも納得だ。

でも、彼女のカルメン的キャラクターや男装が得意という発言からは、コントラルトというより、いまでいうメゾソプラノだったんじゃないかとも考えられる。メゾはソプラノより低い声で、ダーク・ヒロインや少年役(モーツァルト『フィガロの結婚』のケルビーノや、リヒャルト・シュトラウス『薔薇の騎士』のオクタヴィアンなど)を歌うことが多いのだ。

「でも、ご存じの通りお芝居には慣れておりますし、男装をいたすなど造作もございません。これまでにもよく、そのおかげで気ままにふるまったものでございます。私は馭者のジョンにあなたさまの見張りをさせておき、二階へ駆け上がって、散歩服と呼んでおりますが、急いでそれを身につけて降りてみますと、ちょうどあなたさまはお帰りになるところでございました。それからおあとをしたってお玄関先まで参り、私風情を狙っていらっしゃるのが、有名なシャーロック・ホームズさまに違いないことを確かめたのでございます。そして少しはしたなくはございましたけれど、ご挨拶申しあげて、その足でテンプルに良人を訪ねてまいりました。」(以上、延原謙訳)

この有名なアイリーンの“男装”を、リッチーは第1作の終盤でも応用している。

セリフや音楽――第1作のハイドン、第2作のシューベルトやオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の使い方もそうだけれど、リッチーのアプローチは“愛あるマニア”の鑑だと、わたしは思っている。思わず、 「あなたったらどれだけ、どこまで、原作を読みこんだのよ!」 と呆れながら抱きしめたくなるような、オタク魂。これを昇華させ、きっちりエンタメとして成立させ、なおかつ美しい画面。二次創作の鑑である。

■男同士の絆にわりいる「第3の女」

この二次創作的要素のうち、世界中でよかれあしかれ騒がれすぎているのがホームズとワトスンのブロマンス(ブラザー・ロマンス=男同士の絆)なのけれど、わたしはここにもアイリーンを登場させたい。

イヴ・K・セジウィックが『男同士の絆』で論じたように、ホモソーシャルにわりいる異性の存在は、その関係性により複雑な愛憎模様を生じさせる。第2作ではワトスンの結婚がそのトリガー。でも1作めのアイリーンはすてき。敵方についたとみせかけて、相棒たちと(男装して)共闘するのだから。

ワトスンの「あの女」呼ばわりやホームズのだらしないかんじ、やっぱりどう考えてもルパンと次元と不二子。つかずはなれず、くされ縁、の感覚がたまらない。わたしは三角関係の物語における“あて馬”に愛着を感じてしまう性質なのだが、この場合はアイリーンが完全にそれ。なにも男でなくても、わりいるのが恋愛関係でなくても、このタイプの人間がとる距離感がはいい。

「わたしが恋しくなるわよ」 とうそぶくアイリーンに、 「悲しい哉、そのとおりだ」 額にキスして、相棒のもとへ戻っていくホームズ。

この幕切れは、私的「第3の女」作品の最高峰として歴史に刻まれている。

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■レイチェル・マクアダムス(Racel MacAdams)

最後に、演者について。リッチー版アイリーンの魅力は、レイチェル・マクアダムスの少女マンガ的存在感――アメリカのお嬢さんふうの快活で、清潔で、そこはかとなく上品なようす――を抜きにしては語れない。

マクアダムスは1978年カナダ生まれ。2004年、リンジー・ローハン主演『ミーン・ガールズ』での学園の女王レジーナ役、および『きみに読む物語』のヒロインを演じてブレイクした。その後大作は『幸せのポートレイト』とこのホームズ・シリーズということになっているが、昨年日本公開された『恋とニュースの作り方』も、2011年心のベストテン第3位。5月公開のウッディ・アレン監督作品『ミッドナイト・イン・パリ』も、全力で応援していく予定。http://www.midnightinparis.jp/

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