男たちの英国王室

女王陛下最愛の夫、エディンバラ公フィリップ殿下が亡くなった。99歳だった。

フィリップ・マウントバッテン(1921-2021)は、気さくで飾らない人柄で親しまれた人物だ。歯に衣着せぬ物言いで「失言」しては物議を醸したが、その実直さで国民に愛された。ダイアナ元妃の死などに際して、女王とともに王室批判の矛先も向けられたが、いつもともにに乗り越えてきた。女王は金婚式のスピーチで、「彼は長い年月、ただ私の力であり続けています。私と家族、そして我が国は彼に、彼が主張することのない大きな借りがあるのです」と語っている。その心痛はいかばかりだろう。

しかし私は、フィリップ殿下の語られざる物語を、いつかひも解いてみたいと思っていた。そして晴れた日曜の夕方、母王に変わって報道陣の前に現れたチャールズ皇太子の複雑な表情を見ていてもたってもいられず、キーボードに手を伸ばしたのである。そこにあるのは普遍的な、ある家族の父と息子の物語だ。

 

宿命のギリシャ王子

フィリップ殿下は1921年6月、ギリシャ王家のアンドレアス王子とアリス妃の末子として生まれた。

ギリシャとデンマークの王子。それが、生まれながらに彼に与えられた称号だった。しかし1922年、ギリシャで軍事クーデターが発生。伯父であるコンスタンティノス1世が王位を追われ、王弟である父親も追放されたため、当時1歳だったフィリップら一家は、英国が派遣した軍艦で亡命することになる。

なぜ英国軍が支援したかといえば、ギリシャ王家が英国王室の親戚だったからだ。フィリップ自身、ヴィクトリア女王の曾孫でもある。当初はフランスからドイツへと身を寄せたフィリップだったが、1935年、ナチスが台頭するドイツから結局英国へ。そうして祖国を追われた王子が、のちの英国女王と恋に落ちることになった。ちょっと神話的だ。

剣を携えグラディエーターシューズに手をかけたこのショットは、フィリップ14歳の1枚。物語に出てきそうな美少年ぶりだ。英国に移ってきたばかりの彼が、スコットランドの寄宿学校ゴードンストウン・スクールでシェイクスピア劇に出演した時の様子である。

のちに妻となるエリザベス女王とは、この4年後、イギリス海軍のダートマス海軍兵学校で出会った。当時の英国王ジョージ6世が、愛娘エリザベスとマーガレットの姉妹とともに視察に訪れたのがきっかけだった。この時フィリップは18歳、エリザベス王女は13歳。王女の一目惚れだったと伝えられている。

その後、ヨーロッパは第二次世界大戦に突入、フィリップも従軍した。1945年9月、東京湾上の米戦艦で行われた日本の降伏文書調印式では、英駆逐艦ウェルプに海軍士官として乗艦していたという。

第二次世界大戦の終結から間もない1947年、フィリップはギリシャ、デンマークの王位継承権を放棄し英国に帰化。同年7月に、エリザベス王女との婚約成立が公式発表され、11月にはロンドンのウェストミンスター寺院で結婚した。フィリップには「殿下」の敬称と、エディンバラ公爵などの爵位が与えられた。

そして1952年、エリザベスが女王に即位するとフィリップは王配(Prince)に。以来、70年にわたって女王を支え続けた。王配としては最長の在位だった。

ここまでが、よく知られたフィリップ殿下の「物語」である。

 

「私は勇敢なのか? 愚かなのか?」

フィリップ殿下は近年、高齢のため公務から引退し、公の場に姿を表すことは少なくなっていた。

最後の公務となったのは2017年8月、バッキンガム宮殿で開かれた海兵隊の行事だった。雨が降りしきる中、傘をささずにレインコートに帽子姿で臨席し、若い兵士らと談笑。多くの声援に見送られながら、65年間の公務を終えた。

この「最後の公務」が象徴するのは、彼の海軍士官としての誇りではないだろうか。

フィリップは王女との結婚後も軍歴を重ね、1949年には駆逐艦「HMSチェッカーズ」の副艦長に、1950年には海軍少佐としてスループ艦「HMSマグパイ」の艦長に、そして1952年には海軍中佐に昇進していた。人望も厚く、「将来、海軍提督に出世するであろう」と囁かれる海軍期待の星だった。

しかし同年2月、ジョージ6世の早すぎる崩御と妻の女王即位により、その輝かしい軍歴に終止符が打たれてしまったのである。

結婚により、どちらかがキャリアを諦めねばならないこと。そして夫婦の関係において、女のほうが男よりも社会的地位が高いこと。この社会的格差による確執は後を絶たない。

究極の例外と思っていたフィリップ殿下もさまざまな確執や危機を乗り越えてきたのだ—―と教えてくれたのは、2016年から愛聴しているドラマ『ザ・クラウン』だ。

女王エリザベス2世の半生を描く『ザ・クラウン』は、歴史上の実話に基づきながらその舞台裏を掘り下げていく群像劇。タイトルが象徴するように、登場人物たちは王冠の重みに葛藤し、苦しみながら前進する。「王冠を戴くものは安心して眠れない」と正鵠をついたシェイクスピア劇を彷彿とする、現代の叙事詩だ。Netflixでも異例の人気作で、昨年末にはサッチャーやダイアナが登場するシーズン4が配信された。

アバーファン炭鉱崩落事故など、このドラマで知った英国現代史は多いが、女王の戴冠式をめぐる男たちの葛藤も衝撃だった。

既婚女性との「王冠をかけた恋」で王位を捨てた女王の伯父、ウィンザー公(エドワード8世)の一連のシーン。そして、やはりクライマックスは、フィリップが“妻にひざまずく”その瞬間だ。

王室文書と歴史家への取材で構成されたドキュメンタリー『ハウス・オブ・ウィンザー』(2017年制作)によれば、女王との結婚式を控えた数時間前、フィリップ殿下はこのような問いを周囲に投げかけたという。

「私は非常に勇敢なのか? それとも、ものすごく愚かなのか?」

そして事実、彼は妻の即位後、自身のアイデンティティをめぐって放浪をはじめる。

進歩的だった彼は、まず保守派と対立した。王室のイメージ改善のためにテレビを利用しようとしたのも彼だった。数か月、女王と事実上の別居生活さえ送っている(S2-ep2「男の世界」)。ドラマではフィリップの気質的なものに思えたこの問題も、ドキュメンタリーで別視点から見返すと、当時の世論や“男たるもの”へのプレッシャーなど、想像をはるかに超えた要因があったのだとわかって面白い。

S2-ep9「父として」では、そのプレッシャーが父フィリップを通して息子チャールズへとのしかかる。スコットランドの母校に息子を通わせるフィリップが、学校になじめないわが子の姿を見て、過去の忌まわしい記憶を思い起こすというエピソードだ。

 

男の世界

父への反発からチャールズが共感を寄せたのは、大叔父である、あのウィンザー公だった。

サヴィル・ロウ・テイラー組合の言葉を引いてフィリップの着こなしを解説する服飾研究家・中野香織は、次のように語っている。

「目立たぬ賢さ(low-key smartness)」を特徴とする英国紳士スタイル。服装の上ではこれを貫き、実に60年以上も批判ナシ。王室メンバーの王道をいく振る舞いといえましょう。しかし一方、これほどタイクツなこともありません。同記事のなかでも指摘されていますが、長男にあたる現皇太子のチャールズの装いにちょっと華やかなダンディぶりが入ってるのは、父の厳格さに反抗してのこと…と見ることもできなくはない。ソフトショルダーのダブルを好み、ポケットチーフもカラフルで、パフを作って入れたりしていらっしゃいますね。この父子関係は、オーソドックスを好んだジョージ5世の好みに反して、ど派手なスタイルセッターになってしまったウィンザー公との関係を思わせるものでもあります。

ウィンザー公の生涯と父王の確執については次回に見送るが、二組の父子関係はまるで似通っていた。

厳格でマッチョな父と、奔放でフェミニンな息子。長男だけに与えられる過度な重圧。周囲の懸念は的中し、チャールズは英国を揺るがした大伯父に酷似していく。唯一の理解者だったマウントバッテン卿(エリザベス女王の又従兄弟でフィリップの伯父。王室の指導者的存在だった)がIRAによるテロに斃れると、チャールズは打ちのめされる。

そして、既婚者だったカミラ・パーカー・ボウルズと関係を認められぬまま父が薦めるダイアナと結婚し、あの泥沼の離婚劇を生むのである。

「女王陛下の国」という輝かしいイメージの裏で、密やかに、なんと苛烈な男たちのドラマが繰り広げられてきたことか。

ウィンザーに生まれた人間、外からやってきた人間、そして戻れなくなった人間。それぞれが持つ、それぞれの葛藤。ままならぬ宿命。どんなに批判されてもわたしは、ダイアナに希望を託したフィリップ殿下の一面を否定したくない。そこにはたぶん、「部外者」同士の共鳴があったのではないだろうか。

君主制が崩壊した20世紀を生き延び、創設100年を迎えたウィンザー家。彼らは失脚、殺戮、追放などを経て、一族の確執や裏切りを乗り越えてきた。従うのは、「生き残ること」という唯一の残酷なルール。ドラマだけでなく、王室に関する極秘文書やニュースに触れるたび、最強の王家の人間的なもろさにたまらなくなる。

将来、チャールズが国王として即位する日はやってくる。そのときを見据えながら、英国王室の語られざる物語をひも解いていきたいと、いまあらためて強く思っている。

 

最後に、フィリップ殿下を演じた俳優マット・スミスが明かした、ウィリアム王子の言葉を紹介しよう。

誰かがウィリアムに、『ザ・クラウン』でスミスが王子の祖父を演じることを明かし、何かアドバイスがあるかと尋ねていたのだという。ウィリアムはスミスと会うと握手をして、祖父をこう評したそうだ。

「レジェンド。彼はまさに伝説的存在です」

Netflixオリジナルドラマ「ザ・クラウン」
https://www.netflix.com/title/80025678

 

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