フランスが好きです。
少女時代は、夢中になった小説がきっかけでフランス貴族と結婚することが夢でした。歴史小説から旅行ガイドまで、たくさんの文献を読みあさりました。当然、大学で選択したのもフランス語でした。大人になってラ・フォル・ジュルネ音楽祭と出会い『フランス的クラシック生活』という本を出すことになったのも、思えば宿命的です。
パリの街並み。カフェでの会話。にぎわうオペラ座と美術館。ヴェルサイユ宮殿に、ラデュレのマカロン。女性としてはありきたりの趣味だと感じられるかもしれません。ところが、そういう人間も近いうち絶滅危惧種になるかもしれない。かつて『オリーブ』というファッション誌が存在し、少女たちがリセエンヌに憧れたことなど、1990年代生まれの少女には想像もできないかもしれない。雑誌の仕事などしているとよく考えさせられます。いま女性誌で求められるのは、ハワイのおいしい朝食かソウルの美容。すぐ行ける場所で、いかに新しいアドレスを見つけられるのか。そういう実践情報だけ。私を長い間突き動かしてきた「憧れ」なんて、とるに足らないことのように思えてくる。グローバルって、裏を返せばそういうことなのでしょう。
自国が誇ってきた「憧れ」の陰りを敏感に察知した若い世代のフランス人たちは、フランスの愛すべきダサさや屈折したアメリカ愛をてらいなく見せることで、逆説的にフランスのイメージを保存しようとしているかのようです。最もわかりやすいのは、映画です。かつてフランス映画といえば哲学的な会話満載で、陰鬱で、おしゃれだけど近寄りがたい雰囲気でした。俺たちこそが知性、と全身で語っていました。
しかし、いまは違います。たとえばこの夏、東京のフランス映画祭で観客賞を獲った『タイピスト!』。オードリー・ヘプバーンのような主演女優が、恋に仕事にがむしゃらに突き進むラブ・コメディです。もちろん最後に勝つのは愛。理由は「フランス人だから」。まるでフランスに憧れるアメリカ映画のパロディ。ハリウッドの専売特許だったこうした物語を軽やかにやってのける最近のフランス映画を観ていると、フランスがもっと好きになります。だって、おしゃれで知的な国に飄々としたユーモアが加わったら、それって最強ですもの。
(2013年8月9日付「新潟日報」初出)