盂蘭盆を過ぎると、東京にも晩夏の気配が漂います。少しずつ変化する虫の鳴き声。夜風に感じるわずかな涼。ニュースがどんなに騒ごうと、変わらずにめぐりゆく季節にしんみりしてしまう。夏の終わりって、どうしてこんなにせつなくなるのでしょう。
夏になると、金曜ロードショーがかならずジブリの映画を流す。あれがまたいけない。特に『耳をすませば』はいけない。私にとってあの映画は、完全なる青春再放送。公開当時、私は主人公・雫と同い年で、故郷にいて、彼女とおなじように図書館に通ったり恋したりしていました。それなのにすでに「帰りたい 帰れない さよなら カントリーロード」になることは確信していて、せつなくて映画館の帰り道で泣いたという、いわくつきの映画なのです。
主題歌「カントリーロード」は、ジョン・デンバーが作りオリビア・ニュートン・ジョンもカバーしたヒット曲に、鈴木真美子と宮崎駿が訳詞をつけたもの。恋人のいる故郷へ連れてって、という陽気な原曲とは裏腹に、旅立ちの悲壮感たっぷりです。あの歌が東京の地方出身者のみならず多くの人の心に刺さるのは、大人になることで誰しもが、気持ちの意味で「安住の地を離れる」という経験をするからかもしれません。
あのとき確信していた物語を書く仕事も、帰らない故郷も、現実になりました。
そうして聴くカントリーロードには二重の響きがあります。過去と、現在進行形のノスタルジー。まったく人ごととは思えません。雫が処女小説を書き終え、「もっと勉強する」と泣きじゃくるシーンで、毎回一緒に泣いてしまいます。実際、その勉強には終わりがない。読者になにが響くのか、自分にどんな勉強が必要なのか、それを見つけることから勉強しなければならない。だけど不思議に、やめるという選択肢だけは浮かんだことがないのです。
あの頃の自分に、支えられているのだと思います。同時に、故郷の図書館に通う十五歳の後輩たちに。先達の本や雑誌が文化に飢えていた私に世界を与えてくれたように、私も新しい世界を届けたい。届けられるように、コンビニや国道沿いのレンタルビデオ屋さんにも置かれるような、売れる本を作りたい。ああ、大人ってせつない。せつないけど、とびきりおもしろい。
ままならないことも多いけど、私はげんきです。
(2013年8月16日付「新潟日報」初出)