とにかく雨で濡れてしまっていた。でも気にしなかった。フィービーがぐるぐるとメリーゴーランドで回っているのを見たとき、僕は幸福を感じた。真実、僕は幸せだった。理由はわからない。彼女は青いコートで回りつづけていた。神様、あなたがそこにいたらいいのに。 -J・D・サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」
たとえば9月の雨とともに到来した秋に、ドラマティックなはじまりを感じるように。
物語のなかの雨の描写には忘れがたいものが多い。『ショーシャンクの空に』や『君に読む物語』、そして『ティファニーで朝食を』の幕切れ。エモーショナルな「雨映画」の系譜に、新たな名作が加わった。
曇り空も雨も包みこむ街
ニューヨークへのラブレター
監督はおなじみウディ・アレン。84歳にして年1本ペースで新作を撮り続ける、ニューヨークの巨匠だ。
今回の“若き日のウディ風主人公”の名はギャツビー(ティモシー・シャラメ)。ラルフローレンの定番ヘリボーン・ジャケットに身を包み、懐古趣味でポーカーに勤しむ彼は、『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンのようにあらゆることに対して嫌悪感を抱きがち。アッパーイーストで両親の過度な期待――フィッツジェラルドの主人公からとった名前でわかるとおり--を背負って育ったため、現在モラトリアム真っただ中で、アリゾナ育ちの天真爛漫お嬢様アシュレー(エル・ファニング)が癒しだ。
ある日、アシュレーが学校の課題でマンハッタンの有名な映画監督ポラード(リーヴ・シュレイバー)にインタビューをすることに。生粋のニューヨーカーであるギャツビーは、街を案内したくてたまらない。完璧な週末旅行プランをつめこむが、計画は夕立のように瞬く間に狂いはじめ、思いもよらない出来事が次々と起こる。
彫刻のようなティモシーと、エルが扮する大学生カップルのスチールばかりが出回っていたが、じつは重要な役回りを演じるのは、”元カノの妹”チャン役で登場するセレーナ・ゴメスだ。
「親のすねがじりのくせに。嫌なら自分で稼げばいい。バーのピアノ弾きとかやれば?」「そんなの現実じゃない」「現実は夢をあきらめた人のものよ」
ストレートな物言いでギャツビーを翻弄する、知性ある女チャン。彼女はほとんどホールデンにとってのフィービーで、登場直後から「ウディが絶対好きになる女じゃん!」と脳内で壮大にツッコミしてしまった。
クラシカルなアパートメントで暮らし、ハイブランドを無造作に着こなすアップタウンガール(=都会の富裕層)。自信もある。デートの場所はメトロポリタン美術館に決まっている。
シナトラの『Everything Happens To Me』や雨の日のニューヨークが好きなことで意気投合するうち、ギャツビーは気づく。ほんとうの自分を受け入れてくれるのは、いったい誰なのか――。
青春寓話的な物語の中に、人生のおかしさ、ほろ苦さがたっぷり詰まった大人のコメディだ。
初期のアレン作品を彷彿とさせる、軽やかで知的で、どこか現実離れしたユーモア。母の告白やカーライルのバーでのピアノ、雨の降りしきるセントラルパークでのラストに、甘くせつない感慨があふれだす。
美しい秋のニューヨーク、老舗ホテルやアパートメントのインテリアの色彩、ソール・ライターの写真のような雨の風景もいとおしい。
エンドロールのジャズを聴きながら、「いつかまたニューヨークへ」と焦がれるように思った。さまよう心も、若さゆえのあやまちも、過去をも受け入れてくれる街。
いとしい恋人は、ニューヨークそのものなのかもしれない。
Photography by Jessica Miglio (C)2019 Gravier Productions, Inc.
(25ans 2020年9月号より、加筆修正)
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