悪の華の美学|新国立劇場『鹿鳴館』

オペラ「鹿鳴館」を鑑賞。三島由紀夫の日本語の美しさ、その烈しさに、高揚がおさまらない。

欺瞞を孕んだワルツ風序曲。幕が上がるとそこは影山伯爵廷の庭だ。白いバッスルドレスに身を包んだ貴婦人たちが、絵画のように佇んでいる。御殿仕立ての和装の伯爵夫人・朝子に、反政府運動の書生との恋を打ち明ける侯爵令嬢・顕子*。夏の夜の「曲馬」の回想。母と息子の再会。政敵であり、恋敵でもあった影山と清原の確執。フロックコートの死神。そして陰謀の舞踏会ーーまるでヴェルディの「仮面舞踏会」のような緊張感だ。

戯曲を読んだだけでたまらなくなるほどの三島の美の世界を、極限までそぎ落とし、音楽によって増幅させた心理サスペンス。三島同様ラディケの「ドルジェル伯の舞踏会」を愛する池辺晉一郎の音楽も、舞台美術もモノトーンの衣装も、洗練されて優雅だった。カーテンコールでひときわ喝采を集めたソプラノ高橋薫子(顕子役)は、声もローブデコルテ姿も令嬢然として愛らしく、あのようなドレスがほしい!とすら思った(私的な満足度の絶対基準)。

“当たり役”のよび声高い黒田博(影山役)は、まさに生まれながらの伯爵といった佇まいで存在感をみせた。……

政治と愛情。冷酷と劇場。男と女のあいだに、ワルツは流れつづける。

ラストに響き渡る銃声に、影山が嘯く。「打ち上げそこねたお祝いの花火だ」――なんとあざやかな幕切れ。

Scroll to top