メストレ駅を出発した後、電車は南東へと一直線に進み始める。気が付くとまわりにはラグーン(潟)が広がり、一瞬電車が海の上に浮かんでいるような錯覚に陥る。そんな不思議な10分という時間を経て、人々が電車でこの島に降り立った後、最初に目の前に飛び込んでくる光景は、カナル・グランデと呼ばれる大運河に、ヴァポレット(水上バス)やゴンドラが行き来している様子だ。そこには、世界中のどの場所でも見たことがない光景が広がっている。
(渡邊孝さんによる解説より)
2015年はじめてのコンサートで、私はまだ見ぬヴェネツィアを旅した。
アンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディア10周年記念コンサート(1/8近江楽堂)。テーマは「ヴェネツィア!器楽として奏でられるオペラ」。登場するのは、アルビノーニ、プラッティ、ガルッピ、ポルポラ、そしてヴィヴァルディという、ヴェネツィアにゆかりのある作曲家たちの音楽だ。
朗読に合わせ、曲線を描く美しい楽堂の壁面にヴェネツィアの風景が浮かび上がったのは、うれしい驚きだった。
アドリア海の支配者、ヴェネツィア。1600年にフィレンツェで誕生したオペラが、エンターテインメントとして発展したのがこの運河の街だった。今回のコンサートで提示されたのは、このオペラと器楽曲の関係性だ。
トマゾ・アルビノーニ (1671-1751)/トリオ・ソナタ イ長調 作品1-3
ジョバンニ・ベネデット・プラッティ (1697-1763)/ヴァイオリンとチェロと通奏低音のためのソナタ イ長調
バルタッザーレ・ガルッピ (1706-1785)/トリオ・ソナタ第2番 ヘ長調
ニコラ・ポルポラ (1686-1768)/トリオ・ソナタ ト短調 作品2-3
バルタッザーレ・ガルッピ (1706-1785)/トリオ・ソナタ 第6番 ホ長調 ”パスクィーノとマルフォーリオの対話”
アントニオ・ヴィヴァルディ (1678-1741)/ラ・フォリア 作品1-12
ユニゾンではじまる2曲目のソナタでは、ヴァイオリンがソプラノ、チェロがテノールのように“歌う”。チェンバロはさながらオーケストラだ。イタリアが生んだヴァイオリンとその仲間たちが、どれだけ“声に憧れて”いたのかがよくわかった。
アルビノーニの憂愁、ポルポラのみずみずしさ、そしてヴェネツィア本島に近いブラーノ島で生まれヨーロッパ各地を席巻し、エカテリーナ女帝にも寵愛されたというガルッピ。朝岡さんいわく「大運河沿いの名所ではなく、細かい水路を追って見つけた小さな教会のような」音楽の数々にうっとりし、海のみえる街に思いをはせた。
白眉はやはり、ヴィヴァルディ「ラ・フォリア 」。15世紀のポルトガルが起源という荒々しい舞踊音楽が、どうしてこんなに美しく響くのだろう。
「人々はこの天使の音楽を聴くためにあらゆるところからヴェネツィアにやってくるのだ」と言わしめたピエタ慈善院付属音楽院の指導者としても知られるヴィヴァルディ。少女の友であり、私にとっても大切な音楽家の一人だ。
狂乱一歩手前の耽美なラ・フォリアに、思わず『ピエタ』を読み返したくなった。
ひとりの娘がヴァイオリンを弾く。なんてうつくしいヴァイオリン ….たましいの光、うつくしい光、天まで届け。むすめたち、よりよく生きよ …
アンサンブル・リクレアツィオン・ダルカディアは、ヴァイオリンの松永綾子さん、山口幸恵さん、チェロの懸田貴嗣さん、そしてチェンバロの渡邊孝さんで結成されたバロック・アンサンブル。名前の由来は、イタリアの作曲家マリーニの「理想郷での楽しみ(Ricreation d’Arcadia)」。アルカディアへの夢を持ちつづけるアンサンブルの、すてきなチーム感もよかった。
チェンバロの渡邊さんがガルッピの自筆譜をスウェーデンの図書館で見つけ、譜面に起こしたという逸話も面白かった。バロックの音楽家たちは、歴史学者に似ている。
演奏中、懸田さんが糸巻き(チェロのネックの上部の、弦を調整する部分)に息を吹きかけているように見えたので意味をお聞きすると、「ひどい乾燥で動きやすくなっていたペグに少しでも湿気を加えて、止まりやすくしていたのです」とのこと。まるでいとおしい楽器に口づけているようで、ロマンティックだった。
弦楽器はまるで、肉体の一部のようだ。
歴史への夢もわきあがった一夜。次はきっと、イタリアの弦楽器についての取材を実現させたい!