ああ 恋人は赤い赤いバラのよう 6月に花咲く
ああ 恋人は音楽のよう 甘い調べ -萩尾望都『残酷な神が支配する』
拙著『マンガと音楽の甘い関係』登場曲を集めた、オリジナル・プレイリストを公開中です。
7年前の作品ながら、いまも読了・再読報告を数多くいただく本書。YouTubeで曲を探しながら読んだというお言葉も多いので、作中でとくに聴いてほしい曲にこだわって選曲しました。
装画にあしらわれたJe te veuxでスタートし、王道ショパン&リストにジャズ・セッション、ロックの名曲――インタビューした水城せとな、勝田文、ヤマシタトモコ、雲田はるこ各氏の推薦曲も収録した自信作。
そのまま聴いても愉しんで頂ける20曲ですが、マンガにちなんだライナーノーツも書き下ろしてみました。ご参照ください。
1 Satie: Je te veux (Arr. for Cello Quartet)
『マンガと音楽の甘い関係』、雲田はるこによる挿画のイメージ曲。
エリック・サティが1900年のパリで作曲したシャンソン。意味は「あなたがほしい」。挿画をお願いする際、雲田はるこさんの「この本のイメージ曲を決めて、それを絵にしたい」というすてきなご提案があり、楽譜とゴーティエ・カプソンの動画を送って描いていただいた。
2 Chopin: Nocturne, Op. 9, No. 2/アレクサンドル・タロー
ショパン系ピアノ王子の定番曲。
「ショパンのノクターン」といえば、少女マンガではこの曲。ショパン系王子とは、繊細だが情熱を秘めた詩人タイプ。『坂道のアポロン』の西見薫や『いつもポケットにショパン』の緒方季晋など。
3 Liszt: Grandes études de Paganini, S. 141: No. 3, La campanella
リスト系ピアノ王子の定番曲。
そしてリスト系王子とは、ショパン系とは逆に外交的で面倒見のよいリーダータイプ。『のだめカンタービレ』の千秋真一や『桜蘭高校ホスト部』の須王環など、指揮者や実業家として成功する未来を予感させる。この「ラ・カンパネラ」は、「硬質な音とギリギリな感じ」(マツモトトモ『キス』)がこの手の王子に似合うためか、多くの少女マンガに登場する。
4 But Not For Me/チェット・ベイカー
小玉ユキ『坂道のアポロン』より、米軍のバーで淳一が歌う曲。
ウエストコースト・ジャズの代表的トランぺッター兼ヴォーカリスト、チェット・ベイカーの代表作。『坂道のアポロン』では、主人公たちの憧れのトランぺッター「淳兄」が、一触即発の空気をぬぐうように美声を披露する。「この曲のためにあの場面を作った」という作者の言葉も納得の、大人の余裕と色気。
5 At Seventeen/ジャニス・イアン
ひうらさとる『プレイガールK』より、ドクターが弾き語る曲。
1975年にグラミー賞を獲得した、ジャニス・イアンの代表作。冒頭写真(ティモシー・シャラメ『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』)のように、男性がピアノを弾き語る構図にはじめてときめいたのは、『プレイガールK』がきっかけだった。主人公17歳の誕生日に、くわえタバコで不機嫌そうに鍵盤を鳴らしドヤ顔で曲名をつぶやく彼にときめき、CD屋さんに走った1990年代の思い出。
6 ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ/アリス=紗良・オット
水城せとな『黒薔薇アリス』より、静寂館に流れる曲。
インタビューのなかで、自身の様式美とリアリティについて語ってくださった水城せとなさん。声によって人を殺める元テノール歌手ディミトリを描くダーク・ファンタジー『黒薔薇アリス』では、鍵となる「最低音C」が印象的なアリアを探して、楽譜を読みあさったエピソードが印象的。このピアノ曲も「大人のピアノ教室で学んだ主人公が弾けるレベルで、さまになる曲」という、じつはリアルな選曲。フランス近代の詩的な響きを挿入することで、猥雑な道玄坂を不思議な静寂が支配する。
7 Handel: Messiah, HWV 56, Pt. 2: No. 44, Hallelujah(ハレルヤ)
水城せとな『黒薔薇アリス』より、ディミトリによる殺人の曲。
萩尾望都『残酷な神が支配する』より、ジェルミによる殺人の曲。
同じく『黒薔薇アリス』で印象的だった楽曲。ディミトリが父親に虐待を受ける少女を救うために歌うハレルヤ・コーラスは、『残酷な神が支配する』でも同様の設定(虐待を受ける少年自身)で歌われる。晴れやかな曲に似合わぬ偶然に思われるが、低音部との落差や「ハレルヤ」の連呼には、苦境の底でハイになった人特有の怖さがある。殺人は彼らの状況にとって「救世主」にほかならない。
8 Mozart: Le nozze di Figaro(フィガロの結婚), K. 492, Act IV: L’ho perduta, me meschina!
吉田秋生『BANANA FISH』より、アッシュのイメージ曲。
1980年代のニューヨークを舞台に、天才的頭脳と戦闘力でストリート・ギャングのボスとなった少年の闘いを描くハードボイルド・ロマン。少年こと「比類ないアッシュ・リンクス」を象徴する形容詞のひとつが「アマデウス(神の器)」。マフィアの首領に後継者と見込まれ、あらゆる帝王学を授けられたアッシュは『フィガロの結婚』が好きらしいという記述もある。自由を求め「父的なるもの」に反逆するアッシュの生き様は、まさにモーツァルト。小間使い役のソプラノが「失くしてしまった。どうしよう」と歌う悲しげな歌詞は、伯爵に奪われた処女を暗示している。
9 シューマン:子供の情景 作品15 第7曲: トロイメライ(夢)/マルタ・アルゲリッチ
美内すずえ『ガラスの仮面』より、姫川亜弓の曲。
ドールハウスのような部屋で、フランス人形みたいなドレスを着たサラブレッド女優、姫川亜弓は、オルゴールでこの曲を聴く。シューマンが子どものために書いたやさしいピアノ曲は、亜弓と多忙な母をつなぐ音の記憶だ。彼女が孤独を感じたとき、ライバルのマヤへの敗北感に打ちひしがれたとき、オルゴールの音色が彼女を癒す。
10 Blowin’ the Blues Away/ホレス・シルヴァー
小玉ユキ『坂道のアポロン』より、セッションの曲。
ホレス・シルヴァーは、ファンキー・ジャズの代表的アーティスト。『坂道のアポロン』では、ジャズ男子たちのセッションという名の”殴り合い”に登場。人と人が出会って歌ったりセッションしたりする行為には、「懐に飛び込む」「同じ釜の飯を食らう」と同じような意味が潜んでいる。
11 New Power Generation/プリンス
井上雄彦『SLAM DUNK』より、流川楓がウォークマンで聴いていた曲。
プリンスが1990年に発表したアルバム『Graffiti Bridge』収録曲。トップアスリートらしく、ロードバイクを走らせる流川の耳には、当時の音楽プレイヤー、ウォークマンのイヤフォンが。漏れ聞こえる音の吹き出しに跳ね躍る英字が、ひたすら格好良かった。
12 Rachmaninov: Piano Concerto #2 In C Minor, Op. 18 – 1. Moderato/レイフ・オヴェ・アンスネス
二ノ宮知子『のだめカンタービレ』より、Aオケと千秋の共演曲。
くらもちふさこ『いつもポケットにショパン』より、麻子のコンクール曲。
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番ハ短調 作品18。この第1楽章冒頭の、陰鬱な鐘の音が雪原に響きわたるようなロシアの響きは、数多くの名作の起爆剤となった。兄妹のように育った幼馴染の麻子と季晋が再会し、母親同士の確執を乗り越え成長し、コンクールに挑む『いつもポケットにショパン』では、終盤のクライマックで登場する。当初は「アンダンテのメロディ」を志向していたのに、この曲を集中して聴いていたせいで、思いがけずドラマティックな物語になり途方に暮れたというエピソードもおもしろい。
13 Brahms: Wiegenlied(子守唄), Op. 49, No. 4
勝田文『あのこにもらった音楽』より、蔵之介のイメージ曲。
拙著『乙女のクラシック』の挿画を手がけていただいた勝田文さんは、同年代のクラシック仲間。インタビューでは、N響アワー(池辺晋一郎のダジャレ)の思い出や、音符や音楽の固有名詞へのロマンティックなフェチズムを分ちあえて幸福だった。『あのこにもらった音楽』は、ショパンコンクール目前で怪我をしたピアニストが主人公。「俺にはまだブラームスがいたからな」とうそぶく蔵之介の日常は、子守唄のようにやさしくいとおしい。
14 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン/アストラッド・ジルベルト
竹宮惠子『私を月まで連れてって!』より、イメージ曲。
勝田さんのインタビューで「たどりつきたい少女マンガの理想」として挙げていただいた作品。歌声をきっかけに恋におちる、懐かしくも新しいSFラブコメ。古今東西の文学・音楽ネタの頻出は、おなじ作者の『風と木の詩』や『変奏曲』にも共通する。萩尾望都、大島弓子など、24年組は”乙女心のインテリ欲”の宝庫だ。
15 Hotel California/イーグルス
吉田秋生『カリフォルニア物語』より、執筆時のBGM。
ポスト24年組の吉田秋生は、舞台をヨーロッパからアメリカへ移した。当然、音楽もクラシックからウエストコースト・ロックへ。作者は中島梓との対談で、最初の短編『ホテルカリフォルニア』執筆中にこの名曲が「たまたまその時かかっていた」ことを認めている。
16 Herz und Mund und Tat und Leben, BWV 147: Chorale – 主よ人の望みの喜びよ (Arr. for Guitar)/ティボー・ガルシア
吉田秋生『ジュリエットの海』より、哲郎が透のために探す曲。
バッハ、波の音、だれかの呼ぶ声、そして静寂――あまりにも音楽的な名作短編『ジュリエットの海』。ネットのない時代、病床の友が口ずさむ曲をレコードを聴きまくって探すという無限の愛に、バッハのコラールはふさわしい。夜明け前に波の音が静かになることを、この作品を通して知った。
17 しんしんしん/はっぴいえんど
ヤマシタトモコ『美青年』より、執筆時のBGM。
執筆中のプレイリストが本になるほど、音楽愛を明言しているヤマシタトモコさん。インタビューでは、アトリエの高音質スピーカーとiPhoneを駆使して次々にプレイリストを展開する姿がスタイリッシュで、すぐに真似をした(2012年頃の話である)。リフレインするリリック(モノローグ)など、言語から構図までを支配する「音楽性」。連なって下降するモノローグが降り積もる雪のような『美青年』は、この曲を聴きながら考えたという。
18 ノクターン/平原綾香
雲田はるこ『だいだい色に溶けあう』より、ファインダー越しの礼のイメージ曲。
ショパンのノクターン第20番に英語の歌詞をつけ、平原綾香が歌い上げた名曲。冒頭の一声で世界観に引き込まれるこの曲は、雲田はるこさんへのインタビューで教えてもらった。『窓辺の君』所収の短編『だいだい色に溶けあう』で、夕陽に照らされた橋の上でほほ笑む礼――ファインダー越しに切り取られた美しいコマの「音楽イメージ」だ。
19 Mozart: Clarinet Concerto in A Major, K. 622: II. Adagio
雲田はるこ『ばらの森にいた頃』より、イメージ曲。
『マンガと音楽の甘い関係』の執筆を通して、心強い賛同者であり相棒だった雲田さん。初対面の真夜中、当時執筆中だった同作の「音楽イメージ」が「タイトルは知らないが、靄がかかった朝のばらの庭みたいなクラシック」であることを教えてくれたとき、このクラリネット協奏曲を言い当てられた興奮はいまも忘れられない。マンガの画面にある線やコマ割りの音楽性をわかりやすく教えてくれた先生との、思い出の曲。
20 Schubert: Winterreise D. 911: Der Lindenbaum(菩提樹)/イアン・ボストリッジ
萩尾望都『残酷な神が支配する』より、幕切れの曲。
『マンガと音楽の甘い関係』執筆のきっかけになった『残酷な神が支配する』は、英国を舞台に、少年ジェルミの絶望と殺人、再生が紡がれるサイコ・サスペンス。音楽愛を明言する作者だけに音楽描写も多いが、最も印象的なのがこの曲だ。ジェルミの義兄で、のちに罪を共有するイアン・ローランドがボートを漕ぎながら歌い、作中で何度もリフレインする。
泉のほとりの菩提樹の木陰で、友と語らう安息を歌うこの曲は、シューベルトの連作歌曲集『冬の旅』の代表曲。主人公の絶望と悲しみは、ジェルミのそれとリンクする。ならば、この曲はイアンという友の象徴だろう。最終回ラストでこの曲が流れたときの感動が忘れられない。
「友よ、ここには幸せがある」。ジェルミはきっと大丈夫、心からそう思えた。
[関連記事]
WORKS|書籍|マンガと音楽の甘い関係
WORKS|CD|クラシックの森
なぜ「落語心中」は何度も“聴きたく”なるのか?|雲田はるこ「昭和元禄落語心中」特集 vol.1
雲田はるこインタビュー前編「喜びだけじゃない、人間のすべての感情を」 | 「昭和元禄落語心中」特集 vol.4