いつか、安心できる場所で

自分で道をつくっていくのでなかったら、なんにもならない。   -須賀敦子 『ヴェネツィアの宿』

 

17歳の夏から、欠かさずに日記をつけている。

文筆家になると決めた夏だった。よき国語教師に出会って、さまざまな文学賞や雑誌の存在を教えてもらった。プロットや校正も手伝ってくれて、思えば最初の編集者のような存在だった。

彼に提出した課題のなかに、こんなエッセイを見つけた。

母や友人は私を頑固者というが、たしかに私はいろいろなものに偏愛があり、それらに対しては一歩も譲りたくないところがある。

偏愛などと書くと誤解を受けそうだが、私自身は非常にニュートラルな人間だと思う。偏愛の混沌の中立地点から、言葉や物、場所、匂いや色、音、そしてものの考え方というエレメンツを採集しているのだ。

それらに組み立てられた世界こそが、楽園だ。

いま、新しいホームページに作品を並べながら、まるで変わっていない自分に笑ってしまった。

ここはまごうことなき、私の楽園だ。

 

ちょうど1年前、繰り返す日常に閉塞感を感じていた。

独立して10年、守りに入っている感覚。前進していることは確かだが、変化のない日々。水も人も、動かなければ淀んでいく。ここは大好きだけど、この街の外へ行きたい--日記には、そうした言葉が増えていく。
まるで17歳の夏の再現だった。

どこで生きていこうかと考えていたとき、ナポリに出会った。実用より美しさ、愛に忠実であることを許してくれる、エレガンテの街。

なにかがはじまるときはおもしろい。新しい挑戦の、なんと喜びに満ちていることか。新世界に飛び込むための努力は、数年来の淀みをはらってくれた。こういうときはうまくいくと信じていた--まさかこんなふうに突然、日常が断ち切られるとは知らずに。

最初は混乱したけれど、この数か月の私は幸福だったし、こうして10年間を振り返ることもできた。
忘れたくないことは、ベランダで感じた5月の風。海への愛。音楽の強さ。自由と孤独。なによりも、私だけの役割があるということ。

「あなたはアンカーだから、そのままでいて」という友人の言葉が、なによりの支えだった。世間が熱狂のなかにあると、人は無意識に流されそうになる。しかし、そういうとき留まって考え、書きつづけることこそが「勇気」なのだと。

そうしてなにかに純粋な愛を傾けたとき、ほんとうに安心できる場所に行ける気がするのだ。

わたしの愛はどこにあるのだろう。情熱は、どこへ向かっているのだろう。

楽園はいつだって、私自身のなかにある。だからこそ私は、探しつづける。

 

2020年8月 高野麻衣

M.I、そしてTに

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