とにかく貴族なのである|新国立劇場『ばらの騎士』

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そのオペラの名は『ばらの騎士』という。

照明が落ちた劇場に最初に鳴り響くのは、4本のホルンの雄叫び。寄りそうようにまとわりつくストリングス。そしてまたホルンがいななく。いななきはストリングスとともに次第に切羽詰ったように上昇し、頂点に達したところですっと弱まっていく。その後も包み込むように流れる、やさしい音楽。

下りたままの幕の向こうでなにが行われているかを、私たちは知らない。しかし幕が上がると、多くのひとは察するだろう。現れるのは、ロココ絵画のように優美な貴婦人の寝室だ。朝を迎えた部屋には、小鳥のさえずりとやさしい光。中央のベッドには17歳の美しい貴公子オクタヴィアンと陸軍元帥夫人マリー・テレーズ(推定32歳)が横たわり、わずかに残る艶めいた気配を漂わせる――なんてロマンティック!

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18世紀、マリア・テレジアの時代のウィーンが舞台である。

元帥夫人は夫が狩りに出かけた留守中に、愛人オクタヴィアンと一夜を過ごしていた。十代前半で年の離れた夫に嫁ぐこの時代の貴婦人にとっては、当然の作法のようなものだ。

彼女は「32歳以上にはなっていない、まだ充分に若い女性である。しかしながら、彼女は、ときたまうちしずんでいるときなどには、17歳のオクタヴィアンとくらべて、自分をみにくい老婆と感じたりする。……悲劇的に人生に別れを告げるといったように感傷的にふるまうことができず、つねに典雅で、軽やかで、片方の瞳に涙をためるといった、いかにもウィーンの人らしい風情を示す」と作曲者自身が語る、粋な女だ。

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一方のオクタヴィアンは、若くて小生意気で、いかにも女性にモテそうな美少年(メゾ・ソプラノの女性歌手によって歌われる「ズボン役」)。

ちなみにタイトルの「ばらの騎士」は、オクタヴィアンのこと。当時、結納の証として男性から女性へ「銀のばら」を贈る風習があり、その使者を「ばらの騎士」と呼ぶ――ということになっている。実際は、台本を書いた作家ホーフマンスタールによる、これまたロマンティックな創作である。

 

第一幕。前述した朝チュンの場面へ、突然の闖入者が現れる。夫人のいとこのオックス男爵。

色事と金に目がない彼は、富豪ファーニナルの娘ゾフィーと婚約するので「ばらの騎士」を紹介してほしい、と夫人に相談を持ち込んだのだ。夫人は小間使いに女装していたオクタヴィアンを、悪戯っぽく推薦する。そして満足したオックスがいなくなると、オクタヴィアンに「いずれあなたは私より若く美しい人のために、私のもとから立ち去るのだわ」と話す。

「そんなことない!」と激怒したオクタヴィアンだが、第二幕ではその予感のとおり、「ばらの騎士」として出会ったゾフィーと恋に落ちてしまう。

第三幕では、オクタヴィアンが恋敵オックスを女装の小悪魔演技でこらしめ、婚約を破談にさせるドタバタ喜劇が繰り広げられる。しっちゃかめっちゃかになった舞台へ、正義の女神のごとく元帥夫人が現れ、大団円。若い恋人たちとせつなくも美しい三重唱を歌って元帥夫人は身を引き、恋人たちが青春のキラキラを見せつけて終幕。

あらすじはこんなところだ。

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とにかく、すべてを悟ったオトナの女、元帥夫人が高貴にしてかっこよすぎるオペラである。

今回が三度目の上演となった新国立劇場のジョナサン・ミラー演出版では、第一幕のラストでオクタヴィアンと喧嘩した夫人がひとり部屋に残され「私ったらなんてことを!」と一瞬取り乱したあと(ギャップ萌え!)、もの憂げに煙草を吸うシーンがたまらなかった。あの、フランス女優のような存在感、とても同世代女性とは思えない……

 

このオペラには、表題の若い恋人たちと対をなすように、ふたりの大人の男女が描かれている。前述したイイ女代表・元帥夫人と、不良中年・オックス男爵である。

オックスは一見、ただのあて馬の小悪党である。お腹が出ていてデリカシーがなくて、金にがめついセクハラ大王。当然、潔癖少女ゾフィーには毛嫌いされる。そして美少年戦士オクタヴィアンと決闘して、婚約者ばかりかカツラまで奪われてしまう!

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絵に描いたようなオジサン。でも憎めないオジサン。それがこれまでのオックスのイメージだった。

しかし今回は違った。オックスに共感する男性たちの意見を聞いていたせいか、オックスを演じたドイツ人歌手が清潔感のある偉丈夫だったせいか、はたまた自分が年を重ねたせいだろうか。

「オックス、もしかしたらアリかもね!」とはじめて思ったのだ。

帰宅して調べてみると、リヒャルト・シュトラウスが『ばらの騎士』の構想を始めたのは20世紀初頭、第一次世界大戦前の、世紀末芸術が最後のあだ花のように咲き乱れる時代だった。『サロメ』という前衛オペラで成功した彼は、一転して18世紀のモーツァルトのような古典的喜劇オペラを書きたいと考える。そこでモデルとなったのがモーツァルトの『フィガロの結婚』と『ドン・ジョヴァンニ』だった。前者の登場人物は元帥夫人とオクタヴィアンに生まれ変わった。そして後者をモデルに、プレイボーイの主人公が生まれた。オックス男爵である。

シュトラウスによるとオックスは、「35歳くらいの美男子であり、粗野ではあってもとにかく貴族なのである。内面的にはいかがわしくても、少なくとも外見は立派な風采をしている」のだという!

仮タイトルも『オックス』とか『レナヒュウのオックスと銀のばら』というかんじで進んでいたというから驚きだ。シュトラウス、そしてホーフマンスタールのふたりがオックスに対して抱いていた並々ならぬ共感が伝わってくる。なによりもこのオペラで最も愛されている「ばらの騎士のワルツ」は、この不良中年のテーマ曲として書き下ろされているのだ。

 

おまえには俺しかいない
俺といれば 退屈な夜はない
すてべの夜は短くなる

あらためてこの歌を聴くとき、オックスが「かつてオクタヴィアンであったこと」を私たちは知る。

オクタヴィアンは貴族で、若く美しい。元帥夫人というイイ女を愛人に持ちながら、うぶな金持ち令嬢をも虜にし、恋のために戦う。そんな人生の絶頂期が、オックスにもきっとあったのだ。そして年を重ねてもなお、彼は未来を否定しない。「まだこれから」とばかりに上機嫌で恋のワルツを歌う。そんな彼が、だんだんいとおしくさえなってきた。

シュトラウスは最後までこのオペラを『オックス』と題してがんばったが、妻パウリーネの“命令”によって『ばらの騎士』と改題され、結果として空前の大成功をおさめることとなった。

奥様の英断に感謝しつつ、こんなエピソードからも垣間見える男たちの悲哀がいとおしい。

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