今年は、ドキュメンタリー映画の当たり年なのかもしれない。
そんな確信を抱いたのは映画がはじまってすぐ、ボリショイ劇場の元バレエ芸術監督アキーモフが、こんなふうに語りだしたときだった。
ボリショイ劇場は、定期船と同じだ。航海を続けることを運命づけられている。
250人の団員で構成されていて、みんな強い個性の持ち主で、夢と野望を抱いている。それほど才能のない団員でも野心だけは一人前だ。だから生存競争はとても激しい。
外から見れば美しいうっとりするような華麗な踊り、恋とロマンス、その裏には陰謀が渦巻いている。
そんなメロドラマか往年の少女マンガみたいな話が、とふつうなら思うだろう。でも、事件はほんとうに起こったのだ。『ボリショイ・バビロン』は、2013年1月のセルゲイ・フィーリン襲撃事件の真相を解きあかすサスペンスを軸に、240年の歴史のなかで傷つき、再生しようとする巨大(ボリショイ)な“バビロン”の裏側を克明に描き出した衝撃作である。
衝撃。頭に浮かんだのは、まさにその言葉だった。元スターダンサーにして芸術監督が覆面の男に襲われ、顔に硫酸を浴びせられる――セルゲイ・フィーリン襲撃事件そのものが、まずは衝撃だった。若かりし彼の美しい舞台姿が、失明寸前で包帯を巻いた事件直後の映像とオーバーラップする。どんな理由であれ、あんなに美しいものを傷つけるなんて。怒りに震え、涙が止まらなくなるほどだった。
混乱と動揺を抱えているのは、ダンサーたちも一緒だ。しかし彼らはレッスンを続け、舞台に立ち、最高の時間を創りつづける。それがまた、せつなかった。
私たちは感情を出さないように訓練されてるのよ。
美しく見えるように。辛いことがあっても他人には関係ないから。悲しげな観客が来ても、悩みのある観客が来ても、私たちはほほえんで踊るの。
災難が起きても公演は続けなくちゃ。ダンサーは観客に見せなくちゃならないの“芸術と魔法”を。
ところが、である。
若いダンサーから信頼を集めるソリスト、ドミトリチェンコが逮捕されると、専制君主のようだと噂されるフィーリンの別の顔が明かされはじめる。2つに分裂した団内の雰囲気。次々と噴出するスキャンダル。ダンサーたちはカメラの前ですら、互いへの疑念を語る。数人は解雇され、またある者は自ら去っていく――瓦解寸前の“バビロン”には救世主が必要だった。
ボリショイ劇場総裁ウラジーミル・ウーリン。ヒーローのように登場した彼は、表情も身のこなしも「できる男」そのもの。
キャスティングはガラス張りであるべきだ。小役人でなく、舞台を製作する人々が決定権を持つべきだ。
最も才能あるダンサーが踊り、最も才能ある歌手が歌う。
そうなればすべてがうまく運ぶ。
公明正大な彼がいれば、きっと。期待したところに、なんとフィーリンが奇跡の復活をとげる。なにもかもが元どおり、ということではなく、これが次なる闘いのはじまりだった。ウーリンとフィーリンは過去に確執があり、反目しあっていたのだ――。
人間って感情の生き物なんだ、というのが最後の感慨だった。
どんなにすばらしいアーティストでも、どんなに聡明で賢い男でも、いついかなるときも正しく、だれからも好かれることなんてできない。わたしたちは人間なのだから、できなくてあたりまえなのだ。
それでもダンサーたちは踊りつづける。年齢の限界と闘い、政権に抗い、それぞれの悩みや葛藤を抱えながら、ボリショイの誇りを取り戻すために。
もう涙は止まっていた。願わくはみんなに寄りそう光が、この先もずっとあればいい。
監督・撮影:ニック・リード/製作・共同監督:マーク・フランチェッティ
出演:マリーヤ・アレクサンドロワ、アナスタシア・メーシコワ、マリーヤ・アラシュ、セルゲイ・フィーリン、ウラジーミル・ウーリン、ボリス・アキーモフほか
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