「大正」の次にくるのは「ロマン」? いいえ、「モダーンズ」。
ということで、大正イマジュリィのイメージを刷新する展覧会「大正モダーンズ ~大正イマジュリィと東京モダンデザイン~」が、日比谷図書文化館で開催中だ。
特別展 大正モダーンズ ~大正イマジュリィと東京モダンデザイン~ | 特別展 | ミュージアム | 日比谷図書文化館 | 千代田区立図書館
大正から昭和初期にかけて、メディアの発達と印刷技術の革新がきっかけとなり、雑誌から絵はがき、しおりまで、美しい「紙もの」が数多く生み出された。竹久夢二や小村雪岱、小林かいちなどの人気画家による「イマジュリィ」の流行である。
当時は、キネマ(映画)、演劇、音楽、カフェ、モダンファッションなど、さまざまな大衆文化が花開いた時代でもある。銀座をはじめとする東京がその中心となり、「商業デザイン」という概念が生まれた。
「今日は帝劇、明日は三越」
このキャッチコピーでも知られる大正時代の三越のブランドイメージを支えたのは、図案家(=デザイナー)の杉浦非水だった。
呉服屋から百貨店(デパート)へ。パイプからシガレットへーー軽やかでシンプルな大衆の時代に、大正モダーンズは颯爽と登場したのだ。
出版文化も隆盛した。橋口五葉、岸田劉生、藤島武二といった若い美術家たちは、ブックデザインを実験の場としてさまざまな表現を試み、多くの前衛的な作品を生み出した。
いわゆる「カワイイ」の系譜も辿ることができる。
色合いがすでに、何とも言えずカワイイ。
1900年刊行のエレン・ケイ『児童の世紀』が流行して以降、「子どもは一人の人間」という風潮が生まれ、1909年には三越で「児童博覧会」が開催。子どもの世界の確立とともに、当時その教育を一手に担っていた女性たちに向けたイマジュリィが広がっていったのだという。
この流れをいち早く看破したのが、杉浦非水や竹久夢二だった。
竹久夢二《涼しき装ひ》1925年
女性の社会進出も無視できない。男性中心の社会とは異なる世界が共存し、重なり合っていたことが、大正時代の文化的豊かさの源だったのだろう。
第一次世界大戦後の好景気は、それまで上流階級のものだった文化的な楽しみを、広く大衆にもたらした。
映画や演劇、舞踏そして音楽のポスターやパンフレット、楽譜デザインが集まるこのブースでは、当時銀座のカフェーや日比谷公会堂で流れていただろう「大正クラシックス」のプレイリストを選曲し、BGMとして採用していただいた。
竹久夢二らが表紙を手がけた「セノオ楽譜」の作品をベースに、当時の雰囲気を残す戦前の録音をちりばめてみました。
ソプラノ歌手の三浦環や、ヴァイオリニスト諏訪根自子は、会場のお隣にある日比谷公会堂ともゆかりの深い「スタア」。大正昭和の少女たちの憧れでもありました。当時の音源に耳を傾けながら、大正イマジュリィの世界をごゆっくりお楽しみください。
関東大震災で一時関西に移った文化は、復興とともに東京に戻った。
新しい街並みと連動して、東京のファッションは一層モダンに進化していった。モガ(モダン・ガール)の登場だ。
ライフスタイルはより明るく軽快になり、人々はそれを「文化生活」と呼び、アーティストやデザイナーたちもそれに呼応していく。
「モダン」も流行語だった。
斎藤佳三《モダン節(ビクターハーモニカ楽譜NO.37)》1929(昭和4)年
斎藤佳三による「リズム浴衣」なるものまで展示してあり、その存在に驚いた。19世紀末の印象主義・象徴主義からつらなる「あらゆる芸術は音楽の状態にあこがれる」を思い出す現象だ。
音楽がいかに輝いていたのかーーこのあたりの「音楽図像学」については、今後も研究をつづけたい。
『婦人グラフ』の壁も圧巻だった。
華族やレディへのあこがれが、周囲まで華やかな空気を醸し出すようだったーー
戦前の日本にあった、消え去ってしまった優美と洗練。蓄音機の音。帝国ホテルから数分、日比谷公園の片隅で、不思議な夏の時間旅行はいかがだろう。
「大正モダーンズ ~大正イマジュリィと東京モダンデザイン~」は8月7日(火)まで。
特別展 大正モダーンズ ~大正イマジュリィと東京モダンデザイン~ | 特別展 | ミュージアム | 日比谷図書文化館 | 千代田区立図書館
➢本展監修・山田俊幸先生のご著書(高野もコラム寄稿)
大正イマジュリィの世界―デザインとイラストレーションのモダーンズ
- 作者: 山田俊幸,谷口朋子,瀬尾典昭,竹内貴久雄,辺見海
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