ミステリの定義とは何だろう。推理小説。推理ドラマ。ある事件が起きて、その犯人が誰なのか、どのようなトリックを使ったのか、そして動機が何だったのかという「謎 (ミステリ)」を解き明かす作品。
史上初のミステリとされるエドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』の時点で、密室殺人とそれを種明かしする名探偵、その記録者、そして明かされる意外な真相、というクリシェは完成している。個人的に付け加えるなら、「名探偵の隠された過去」。これもミステリには欠かせない、魅惑的な「謎」のひとつなのではないだろうか。
人の心の「謎」を解く! 新感覚ミステリー
そんなことを、『ミステリと言う勿れ』を読みながら考えた。作者は田村由美。1990年代の大ヒット作『BASARA』に次いで2017年、全35巻の大作『7SEEDS』を完結し、数多のマンガ好きを唸らせた。そんなベテランによる新作が、ミステリと知ったときには驚き――正直、そのポテンシャルの高さに感動を禁じ得なかった。作者自ら「言う勿れ」と断ってはいるが、私には、愛するミステリ要素がぎゅっとつまった新境地にしか思えなかったからだ。
物語の主人公は、天然パーマの大学生・久能整。友だちも彼女もいないと明言しながら、マイペースで幸せそうに暮らしてる青年だ。ある冬のカレー日和、アパートの部屋で玉ねぎをザク切りしている整の元に、刑事が訪れる。大学の同級生が近所で殺害され、彼と折りあいのよくなかった整に容疑がかけられたのである。
本作は、SFファンタジーの大家・田村由美のイメージを裏切る会話劇でもある。取り調べを受ける整は、いたって冷静に、淡々と、達者な舌とぐうの音も出ないほどの正論で刑事たちを論破する。同時に、刑事たちが抱えている「心の奥深くにある痛み」を次々に言い当て、魅了していく。そして取調室から一歩も出ずに、衝撃的な事件の真相を明らかにしてしまうのだ。
「真実は人の数だけあるんですよ」
悟り切った表情で名言を連発する整に、読者のわたしもどんどん魅了されていった。いわゆる安楽椅子探偵(部屋から出ることなく、あるいは現場に赴くことなく事件を推理する探偵)の一種と考えることはできるが、整は感情を荒げたり、正義ぶって誰かを断罪したり、シニカルを気取ったりもしない。もはや伏線と思えるまでに飄々とした整の態度に、「彼には一体、どんな過去があったのだろう?」と勝手に推理をはじめてしまったほどだ。こんなに言い尽くしがたい魅力を持つ探偵役には、はじめて出会ったような気がする。
考えてみれば、田村由美は華のあるキャラクターと、その教養に裏打ちされた名ネームでも定評のある作家だ。整の「語り」だけでも十分爽快だが、この先物語はどんな風に展開していくのだろう――期待していた矢先、エピソード2では、これまた魅惑的な直毛の美青年・熊田が登場する。ネタバレになってしまうので詳しくは割愛するが、整に負けないくらい謎めいた彼が、今後どのように関わってくるのか楽しみでならない。
もうひとつ楽しみなのが、じつはメディア化。おそらく既にどこかのプロデューサーが動いているのでは、と勘繰ってしまうくらい劇場的、映像的な作品なのである。アニメ化というより、旬のイケメン俳優をキャストにしての実写化だろうか。いずれにせよ、実現するならどうか、整の言い尽くしがたい魅力が再現できる、最高に芝居の巧い役者さんに演じてほしい。
そんな風に先走りつつ、少しずつ明かされていく「謎」を楽しんでいるところだ。
(Febri Vol.50, 一迅社, 2018)