Dear Sisters,

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ここ10年ほど、一年のはじまりに書くことを大切にしている。

元旦の午後には恒例の「新年の誓い」を100個、書き終えた。仕事上のイメージもたくさん浮かんだ。2018年がテーマどおり、思考を整理し、自分の原点を見つめ直す年になったからかもしれない。

「ほんとうに書きたいことを書く」ためいくつかの仕事を一区切りしたとたん、6年前から目標にしていた25ansでの連載の話が舞い込んだ。音楽やアートといったジャンルに囚われず、「闘うプリンセスが現代を生きるためのカルチャーTOPICS」として、本や舞台や映画まで自由に選び、毎月紹介できる。壮大な挑戦もまた、偶然の連鎖から進行中だ。少女時代から夢見てきたことばかりで、自分でも驚く。

いまを生きる少女たちに思いを伝えたい、と試行錯誤する過程で、この20年で確実に変化した「時代」に向き合うこともできた。

春にはメーガン妃という、時代のプリンセスの登場に感極まった。『ルパン三世』の取材では、声優・沢城みゆきさんが「峰不二子」という女性像を果敢にアップデートし演じる姿が印象的だった。Febriの『BANANA FISH』特集を読んだ若い読者が送ってくれた、「アッシュのように、性暴力で傷つく子どもをなくすための仕事をしたい」という手紙は宝物だ。少女漫画に描かれてきたメッセージが今、確実に世界を変えているのだと泣きそうになった。

私のような書き手にも伝えられることはあると、信じることができた。フェミニズムや、女性にも内在するミソジニーについて、こんなに勉強した一年はない。成果は少しずつ、自分の書くもののなかに生かしていこう──この記事はその嚆矢として、例年どおり近況報告と抱負で終わるつもりだった。

 

しかし、仕事始めからたったの一週間でさまざまな出来事が重なり、それでは遅すぎると気づかされた。

世界は変わろうとしている。社会も、私のまわりの心強い同志たちも確実に変化している。けれど、それに気づけない人たちが、半径5メートルにすらどれだけいるのだろう。自分がいつ加害者側に立つかもわからない。実感して、鳥肌が立った。

私には少なくとも、名前を出して執筆している責任がある。これまで「仕事だから」という理由で蓋をしてきた小さな違和感にも、NOを言うこと。まずはそこからだと思い、話し合うようにした。勇気がいったけれど、担当編集者たちがおなじ意識のもとで、真摯に仕事に向き合っていることがわかって、心底安堵した。

世界は変わろうとしている。この安堵を、あたりまえのものにしなくてはならない。

 

私が「世界は変わる」という真実を知ったのは1989年、平成の最初の年のことだ。

その年のはじめ、世界はしんと静かで、新学期から新しい年号を使うのだと教えられてドキドキした。そしてある秋の日、大人たちが叫ぶ言葉に興奮した。

「ベルリンの壁が崩壊しました!」

崩れ落ちた壁の映像と民衆の歓喜の歌を、いまも鮮明に覚えている。「世界は変わる」と知った最初の瞬間だからだ。それも、よりよいほうに。

あれから30年を経て、世界はまた変わろうとしている。ガラスの天井は、ベルリンの壁のように明確な形がないぶん、壊すのに時間がかかるかもしれない。けれど、変わろうとしている事実はもう、誰の目にも明らかだ。 それが平成の最後の年であることに、なんだか奇妙な感慨まで覚えている。

あらためて、人が生きた瞬間としての歴史を、物語を描きたいと思う。

ただ、ひとつだけ憂慮しているのは、怒りの暴走だ。怒りは壮絶なパワーとなり、革命はつねに、そのパワーが突き動かす。でも、言葉は暴力ともなり、それが互いを傷つけるかもしれないということも忘れたくない。

人生に与えられた時間は限られている。‟悪役”の袋叩きや、とりとめのない悪意の相手をする時間があるなら、私は女の子が前を向いて生きるための物語を書いていたい。世界が女性を拒否するなら、かつてメーガン・マークルが言ったように、女性のための新しいテーブルをつくりたい。

エレガンス、と呪文のように唱えながら。エレガンスとは、自分を尊敬し、他者を尊敬する心のことだ。

パンがないなら、私はケーキをつくろう。

ケーキや花は生活必需品ではないけれど、多くの人を笑顔にし、絶望から救い、希望を与えるものだ。だからこそ。ケーキをありがとうと言ってくれる読者がいる限り、私は書き続けようと思う。

 

2019年1月15日

高野麻衣

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