LAST NIGHT AT A THEATRE -昨夜、とある劇場で- [完全版]

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夜の劇場、それはナイトスポットの中でも、特に憧れる場所のひとつ。

というわけで、「夜のときめき」を特集した紙版『花園magazine』Vol.9 2016 秋冬号に、コラム「LAST NIGHT AT A THEATRE -昨夜、とある劇場で-」を寄稿させていただいた。

【お知らせ】紙版『花園magazine』Vol.9 2016秋冬号発売します! | 花園magazine

 

「敷居が高いと慄くより、まずはドレスや乾杯から楽しんでみて」という趣旨でお送りしたこのコラム、ドレスアップ例としてご紹介したのは、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場が誇るファッションスナップ・サイト「LAST NIGHT AT the MET」。

劇場の公式サイトで、その名のとおり「昨夜、METで」見かけた素人オシャレさんを老若男女LGBTまで、最高の笑顔で激写。「『椿姫』を観るならどんなドレスにしようかな?」なんて考えたい人(私など)にとっては、まさに「実用的」なスナップ集だ。

たとえば、上段中央のアジア女性は、2016-17シーズンのオープニング作『トリスタンとイゾルデ』を観にきたお客様。ゴスっ子も大好きなワーグナーの、中世を舞台にした悲恋物語にぴったりなマント姿だ。

この「マント姿」のスナップが手違いで紙面から外れてしまったとのこと、あらためてこの場でご紹介したい。ヴェルヴェットの重めゴシックアイテムを足元の抜け感で中和したグッドバランスは、まさに私たちが真似したい「大人のコスプレ」だ。

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一方こちらは、高難度のガチゴスコーデ。

こんなふたりがワーグナーでオペラデートをキメているとは、ニューヨークの文化的成熟がうらやましくてたまらない!

トリスタンとイゾルデ (ワーグナー・ペーパーオペラ)

トリスタンとイゾルデ (ワーグナー・ペーパーオペラ)

 

 

こちらの金髪の“蝶々夫人”は、昨シーズン(2015-16)の私的グランプリコーデ。

映画監督としても著名なアンソニー・ミンゲラによるモダン・ジャポニスム演出にぴったりマッチしていて、殿堂入り確定。オペラ自体も、これまで観たたくさんの『蝶々夫人』のなかで最も美しく、エモーショナルな上演だった。

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昨シーズン、そんな『蝶々夫人』や『マノン・レスコー』の煽情的なメインヴィジュアルで話題を呼んだ美貌の歌姫、クリスティーヌ・オポライス(写真)。

来週3月18日(土)から日本公開されるMETライブビューイング『ルサルカ』では、美しき水の精として私たちを再び魅了してくれる。

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Rusalka: “Song to the Moon”

このアリア「月に寄せる歌」、どこか懐かしく聞こえがないだろうか?

それもそのはず、作曲者は音楽史上屈指のメロディ・メーカー、ドヴォルザーク。このオペラは、おとぎ話の国チェコを代表する音楽家による、“オペラ版人魚姫”なのである。チェコらしく、ちょっぴりダークでファンタジックな世界観は、切ない恋に思い切りひたれそうな美しさ。

客席には、「『リトル・マーメイド』の方ですか?」と声をかけたくなる鱗パンツ女史や、

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チェコの民族衣装を意識したのか、赤が印象的なドレスでポージングする女性も。みんな楽しそうで、ほんとにいい!

(※スナップには、普通のオシャレさんもたくさんいらっしゃいます。)

2017年は「日本におけるチェコ文化年」である。

六本木の国立新美術館「ミュシャ展」で大作『スラヴ叙事詩』20点に浸ったら、ヒルズのTOHO CINEMASあたりに移動して、METライブビューイング『ルサルカ』もぜひ。締めは表参道のティーサロン、ジェルボーで決まりだ。

パティスリーサロン GERBEAUD(ジェルボー)東京本店

 

METライブビューイング2016-17は、早いもので『ルサルカ』が中間地点。

なんと今シーズン後半は、『椿姫』『イドメネオ』『エフゲニー・オネーギン』『ばらの騎士』と、乙女オペラ案件がつづく。これまで映画館で遠巻きに気にしていた、なんて方には、ぜひこの機会にお試しいただきたい。

後半ラインナップの詳細は近々ご案内するので、どうぞお楽しみに!

www.shochiku.co.jp

 

今日の午後、私は約3ヶ月ぶりにオーチャードホールを訪れ、アンドレア・バッティストーニが指揮する東京フィルのマチネを聴いた。

じつは今年に入ってから、CDの発売記念イベントやら風邪やらでゆっくりと劇場を訪れる機会がなかった。だからほんとうにひさしぶりにオーケストラの音を聴いた。

プログラムはラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と、チャイコフスキーの「悲愴」。

ロシアの教会のように鳴り響く鐘の音のあと、疾走するような協奏曲第一楽章を期待していた私は、女性ピアニストの丁寧で内省的な和音に当初、物足りなさを味わった。もっとエモくしてよ。宿命を駆け抜けてよ。そんなふうに感じていた。

しかし、第2楽章のアダージョに差しかかったとき、その弱音の美しさが体中に染みわたって、目頭が熱くなった。

「ああ、私の耳はいま、ほんとうの音でチューニングされたんだな」

とわかった。

昔、ある人に「ロシアの音楽は、サンクトペテルブルクの家々の窓に張り付く雪の結晶が、より小さな結晶の連なりでできていると知っている人の音楽だ」と聞いた。そのラフマニノフはそういう、きらきら輝く結晶でできていた。

そしてチャイコフスキー。まさに「パテティーチェスカヤ(燃えるような情熱)」*1 という名のとおりの熱演のあと、おそらく1分にも満たない沈黙。サウンド・オブ・サイレンス。その後の割れるような拍手まで含めて完璧すぎて、必死で嗚咽をこらえながら、マグノリアの花がほころぶ帰路を歩いた。徒歩圏でよかった。

ひさしぶりに、劇場という場所が持つ魔力を味わった気がした。

 

私たちはいつも、音楽に囲まれて暮らしている。

音楽を聴くこと、楽しむことは人間の本能だと思うし、私もさまざまな音楽を愛している。すべて、神様からのギフトだと思う。

けれど、生でクラシック音楽を聴くことは、すこしだけ勝手が違う。あえかな弱音から大音響までの音のダイナミズムを、機械を通さずに“聴きとる”ことが必要だからだ。受け身でなく、自分から音やメロディを探しにいく行為だからだ。

だから客席でも、みんなが協力しあって沈黙をつくる。行儀がいいからでもとりすましているからでもなんでもない。ただ、「音楽」をつくっているのだ。

私の感覚は、いつも劇場がチューニングしてくれる。

劇場にいくたび、「ほんとうの居場所に戻ってきた」と感じるのは、きっとそのためなのだと思う。

 

今回のコラムでは、たとえば東京のサントリーホールや新国立劇場、ラ・フォル・ジュルネの楽しみ方にも、ちらりと触れさせていただいた。

花園magazine の読者のように、カルチャーもオシャレもグルメも貪欲に楽しんでいる/楽しみたい女性はたくさんいる。そういう「美の求道者たち」に向けて、もっと自由に、しかし本質と愛に満ちた発信を続けていきたい。そんなことをあらためて思った。

「音楽はわからなくても、特別な夜、レディになりきってシャンパンを傾けたい」。それが、全世界の女性の根底あるクラシック観だと思う。そんな女性たちに、「まずはそれでいいんだよ!」と伝えたい

劇場へ友人たちを誘ったときの「おしゃれしてきた♡」という笑顔が、私は大好き。やっぱり恋人やパパやママ、友人たち――誰かと一緒に音楽を分かちあう特別感は、かけがえがないから。

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hanazonomagazine.wordpress.com

 

*1:チャイコフスキーの交響曲第6番には「パテティーク」という表題があり、日本語では「悲愴」と訳される。ところがこの表題はロシア語だと「パテティーチェスカヤ(燃えるような情熱)」となる。チャイコフスキーはこの曲の初演を指揮したあと、9日後に急逝。一昔前までは自殺説も根強かったというが、この「燃えるような情熱」を聴く限り、生きることへの執着は強かったはずだ。

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