クレープ・ド・シーヌ。
直訳すると中国ちりめんだが、昔はフランスちりめんとも呼ばれた。
フランスで、自国のちりめんにはまた別名がある。
日本の着物はまた織りが違うらしく、一概に絹といっても趣はさまざまである。
てろん、とまとわりつく心地よさ。
晴れがましい量感。
そしてあの、衣擦れの音。
『絹/SETA』という小説が映画になり、書舗にたおやかな草書体が並んでいる。*1
そこに描かれているように、かつて絹は日本の一大産業だったが、だんだんと消えてしまった。
絹のような日本の女も稀少になり、私たちが今、あこがれてやまないイマージュとなった。
絹のような、という形容。
たんなる「品格」や「リュクス」、まして「美肌」などのことではない、と私は思っている。
芯の気丈さ。
しとやかな佇まいに包み込んだ、堂々たる威厳。高貴。
いっそきかん気のような。
数年前、そういう外国人のあこがれの日本の女を表現する人として、チャン・ツィイーが選ばれたのも、故なきことではないように思う。
しなやかでいて、したたか。
少女のエキセントリックとは違う、やわらかい気丈夫。
絹のような女を目指す今年のアイコン。
チャン・ツィイーについて。
http://www.helloziyi.com/
1979年、中国・北京生まれ。
中央戯劇学院表演科(大学本科)卒業。
バレエで鍛えたしなやかな体躯と身体能力で、アクションも得意とするが、私にとっては当代一のお姫様女優。
上品な面差しに、あえかな雰囲気。
優雅な身のこなしに、凛としたまなざし、勝ち気な表情。
まさに、姫君。*2
姫君でないが、限りなく華やかなゲイシャの世界。
昨年も『さくらん』をはじめとするポップなゲイシャが注目されたが、本作にはそうした和製ニューウェイヴの歌舞伎に通じるけれん味がなく、透明な色使いも上品。
時代考証的には芸妓、髪の結い方は…などとあげつらう論評も多いが、それをいうのは野暮のきわみだ。
“ガイジン”目線ならではのゲイシャ・ファンタジー。
30年代から80年代の上海を舞台に、三世代の女の波乱の運命を一人三役で描く。
茉(モー)のチャイナドレス、歌声、老いてなおの気品はやはり姫的。
いちばん壮絶だったのは孫娘にあたる花(ホア)で、新中国の波の中、ツィイーはまさに女のしたたかさ、たくましさを清冽に演じきる。
花はメガネっ子で、すこし宮崎あおいに似ていて、「ああ“好み”の顔なんだな」と納得。
雛人形のような一対を、眺めて楽しみたい。
マエストロ鈴木清順のシュールなミュージカルでは、おとぎの日本の姫君を演じる。
伊藤佐智子*3による、ガイジン目線と仏教美術の影響を受けた、新しい感性のキモノが秀逸。
これに触れたくて次点にしたようなもの。
http://www.silk-movie.com/
原作は音楽学者でもあるアレッサンドロ・バリッコ、監督は『グレン・グールドをめぐる32章』(1993)『レッド・バイオリン』(1998)のフランソワ・ジラール。
*2 実際、デビュー直後の『グリーン・デスティニー』(2000年、アン・リー監督作品)以降、中国はもちろん、韓国、日本の姫君(あるいは高貴な令嬢)役が続いた。
最新作(ハムレットの翻案)ではもはや『女帝』に。
*3 伊藤佐智子
http://www.brucke.co.jp/
1973年、渋谷パルコオープニングキャンペーン、資生堂キャンペーン「シフォネット」を皮切りに、オーダーメイド・システムによるデザイン活動を開始。
CM、映画、演劇の衣裳をはじめ、人気アーティストのプロモーションビデオのクリエイティブディレクターも努める。
主な映画作品は、『白痴』『オペレッタ狸御殿』『春の雪』『舞妓Haaaan!!!』など。
女優・宮沢りえをモデルにした『STYLE BOOK』(講談社、右)では企画・構成を手がけ、“着る楽しさ”を紹介している。