わたしのすっきりしない、もどかしい、聞いて聞いて病はとどまるところを知らず、会社帰りにライターの片桐さんとドゥマゴでおしゃべりしていたら「ついでにクレーメルも聴いてく?」ということになった。
なんという僥倖。
ありがとうございました。
クレーメルは説明するまでもなく今世紀を代表するヴァイオリニストのひとりだが、正統派クラシック教育を受けていたはずが音楽への愛を純粋培養させたらそのままつっぱしっちゃっていつのまにかここにいるけどアレ?ここドコ?みたいなひとだ。
今回の「ビーイング・ギドン・クレーメル」がまさにそう。
説明するより下のリンクから動画を見てもらったほうが早いが、まあ、そんなようなステージである。
ひとつだけ言えるのは、爆笑がすーっとおさまった静寂のなかで聴こえてくるクレーメルのヴァイオリンが、端正でやさしくて愛に満ちていたこと。
イグデスマン&ジューもクレメラータ・バルティカも実は本格的で達者な演奏をするのだが、もう、音楽が違う。
そういう音楽の裏づけがあって、以下のメッセージが届く。
私たちは市場経済が芸術を支配する時代に生きている。芸術作品の品質は売り上げの量で判断される。私たちは皆売上高の統計、チャートの順位、商業メディアへの露出を横目で見る。人気があればあるほどよい。…しかし、結果的に私たちは音楽の本当の意味――心を高揚させるような感情と知性の融合、親密で深く感情に訴える魂の表現――を見失ってばかりいる。
ビーイング・ギドン・クレーメルは、虫めがねを通してクラシック音楽を批評的かつおもしろく観察する。クローズアップすることで、私たちはあらゆる形の商業的「低レベル化」からも健全な距離をとれることを願っている。
選曲もよかった。イザイの「子どもの夢」、ドヴォルザークの「4つのロマンス」、マーラーの10番。
最後にクレーメルが、やさしい声で語りかけてきた。
「ここからどこへ行こうか? 音楽のない人生が考えられる?」
さて、大満足でオーチャードホールを出ると、本公演でもブレインとして大活躍の“オーデォオ&ヴィジュアル・ライター”前島さんが煙草休憩中だったので合流。
なにしろ映画がらみのパロディが多いから、後づけで講義してもらっただけでも「あのシーンか!あのパロか!」続出である。
くそう、オーディオコメンタリー付でリプレイしたいぜ。
駅までごいっしょする間に「渋谷にある会社でお世話になっていて…」と近況報告をすると、なぜか「所属することはいい」という話に。
「俺なんかさ、コンサートへ行けば映画のやつと言われ、試写会に行けば音楽のやつと言われ、社会に出ればなにものですか状態だよ」
前島さんがライオンのような髪をなびかせて言う。
みんな、いっしょなんだ。
「マーラーだマーラーだ」
「三重の意味で」
「「「故郷がない」」」
渋谷の交差点でケラケラ笑うのは楽しかった。
自分の仕事は、自分でつくらなくちゃだめだと言われた。
ブログをやめてはだめだよ、とも。
絶対やめない、と思った。
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