晴雨計 第21回 「革命のあとさき」

年の瀬です。大河ドラマ「八重の桜」も最終回でした。以前申し上げたとおり、私はいわゆる歴女であり、大学での専攻は近現代史(とりわけ日本史、西洋史にこだわらない「19世紀末マニア」)であるため、大河ドラマは季節を知らせてくれる風物詩。今年も、だいぶ飛ばし飛ばしではあるものの、ラストまで無事完走いたしました。

「八重の桜」という作品に関しては、公共放送としての秀作だった、という印象でした(個人的には「新選組!」や「平清盛」のように、従来のセオリーからはずれて冒険したため低視聴率が取りざたされるような作品のほうが好みなのです)。でも、歴史オタクとしての見どころは多かったかもしれません。

たとえば、最終回でうれしかったのは、50歳くらいになった斎藤一が道場で得意の牙突を見せてくれたこと。「強いなあ」「新選組だって」と驚いていた若者たちは、きっと明治生まれなのでしょう。現代で言ったら、80年代に活躍した伝説のスター選手を眺めている感じ?

「八重の桜」はそんな調子で、幕末と明治、そして現代がひとつながりであるという事実をていねいに描いていたと思います。幕末ものというと、英雄たちの死=明治の幕開けで終わってしまうのが常ですから、英雄たちの影で目立たなかった「生き延びた人びと」に着目できたのは、このドラマのなによりの功績です。明治新政府の混迷、したたかな勝海舟と徳川慶喜、会津家老・山川兄弟の絆、そして西郷の意思を継いだ大山巌――。九州男児なのに、帰国子女で鹿鳴館の華と呼ばれた夫人・捨松(水原希子さん)に「イワオ」と呼ばれていたのも、とても微笑ましかった。反町隆史さん演じる「イワオ」、とても好きでした。

 

つまり、後半の明治編がとても好きでした。その理由はたぶん「生き延びた人びとが(いろんなことがあるけれど)前を向いて歩いていく物語」だったからだと思います。「花は散らす風を恨まねぇ」という終盤のセリフが、すべてを表していました。

八重も斎藤も大山も、明治を長く生き抜いた人びとです。同年代の沖田総司も生きていたなら、変わらず飄々と斎藤の太刀筋をからかったりしただろう、などと想像してせつなくなりました。軽い八重ロスは、来年公開の映画「るろうに剣心」(原作は新潟出身のマンガ家・和月伸宏さん)で癒そうと思います。

 (2013年12月20日「新潟日報」初出)

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