3月17日。小雨のパリから快晴のロンドンへ、ユーロスターで2時間。まるで太陽とともに旅しているような行程だ。
到着したホールの楽屋口の両脇には、あたたかな陽光のなかでアーモンドの花。数時間後には、昨日に引き続き本番が待っている。
閑静なスローンズ地区に位置するカドガン・ホールは、1907年に建てられた教会を改装した英国バロック様式の建物。ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラの本拠地でもあり、音までが優美に響く。ロンドン公演はこのホールで開かれるチューリッヒ生命コンサートシリーズの一環としての招待。プログラムもがらりと変わる。
リハーサルの1曲目は、シェイクスピア生誕450年を記念して演奏される、プロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」。なかでも繊細な「バルコニーの情景」だった。あたたかな春の陽光がステンドグラス越しに差し込むホールを満たした弦のアンサンブルのあまりの美しさに、涙が止まらなるほど。シェイクスピアの国の人々に、この美しい音の結晶を届けられるのが嬉しかった。
午後6時すぎ。青い光でライトアップされたホールが開場すると、ホワイエでは弦楽四重奏団の演奏が始まる。聴衆はカフェで軽食をとりながら室内楽に耳を傾け、今夜の公演への期待を高めている。このホワイエも、開演直前まで駆け込み客が訪れたボックスオフィスも、教会だったころの面影が残り、小さく美しい。
本番は、その夜も「BUGAKU」から。もはや東京フィルのテーマ曲のように聴こえる。小規模なホールいっぱいに鳴り響く王朝の雅な響き――“日本の音”とバロック建築との組み合わせは、考えていた以上に相性がいい。つづくヴァイオリン協奏曲の熱演も合わせて、驚きと喜びに満ちた歓声が巻き起こった。
「ロメオとジュリエット」と、その翻案であるバーンスタインの「ウェストサイド物語」を合わせ鏡にした後半。センチメンタルな恋のときめきを知らせるピアニシモから、悲劇が胸に突き刺さるフォルテシモまで、ダイナミックに展開していく劇的なハーモニー。とりわけ盛り上がったのが「マンボ」だ。楽団員のかけ声も朗らかなラテンのリズムに、客席には笑みを漏らしたり、体を揺らしたりする人々が目立った。
抑制のきいたロンドンの人々には過剰か、と思われたアンコールの八木節も大盛況。立ち上がったまま余韻に浸っていると、前の席に座っていた老夫婦が上品なアクセントの英語で「ファンタスティックだったね。君も楽しんだかな?」と語りかけてきた。満面の笑顔だ。和やかな雰囲気に包まれていたカドガン・ホール。このコンサートひとつで、街のイメージまで覆ってしまった。何事も先入観で凝り固まってはいけない。
2日連続の公演に、公演後の楽団員たちには疲労のあとも濃かったが、ただ音楽にだけは一切それを感じなかった。まるでアスリートのようだ。プロフェッショナルとは何かを考えていると、去り際の英国紳士からバスに乗り込む楽団員へ向けて「きてくれてありがとう!」の声。すべてが報われる思いだった。
(ワールドツアー2014報告書 初出)
劇的にスタートした、第4の舞台ロンドンの24時間。
ユーロスターの終着駅であるセント・パンクラス駅は、赤煉瓦のロンドンらしい建物で、外観が『ハリーポッター』のキングスクロス駅として登場したことで有名。驚くほどいい天気だった。
カドガン・ホールのあるスローンズ地区は、キャサリン妃のような華コンサバファッションの冠にもなる高級住宅地。アイリーン・アドラー(『SHERLOCK』)のフラットも発見できた(じつは行き帰りの飛行機でもくりかえし映画『ダイアナ』と日本未放映だった『SHERLOCK シーズン3』を観ていた)。
翌朝は英国式朝食のあと、ホテルからほど近いケンジントン宮殿へ。
1600年代後期から数々の王族が暮らし、、ダイアナの居城でもあった。ヴィクトリア女王が生まれ、幼児期を過ごしたのもここ。宮中には18世紀からの式服や法廷服を含む、ロイヤル・コレクションの数々が展示されていた。
ケンジントンガーデンズにほど近い教会。どこをとっても「好き」と思えるロンドンの街並みに、自分の憧れと素養のルーツを思う。
その後、ヴァイオリンの鈴木さんたちと合流し、集合時間まで優雅なティータイムを過ごした。店の名はカフェ・コンチェルト。
24時間前がパリだったなんて信じられない、濃密なロンドン時間だった。
大好きなパリとロンドン。コンサートホールに満ちていた愛による美しい一体感。遊び心という名の洗練。
分かちあうこと――これこそわたしが目指すクラシック音楽のあり方と、再確認した2日間だった。
(シンガポールへつづく)
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