「オペラの登場人物のなかで恋人にするならだれ?」
女友だちとそんな話をしたときいつも票が集まるキャラクター、それがフィガロ(写真右、クリストファー・モルトマン)だ。
私が大好きなモーツァルトの『フィガロの結婚』は、モテ男の彼がついに年貢をおさめる結婚式の一日(ラ・フォル・ジュルネ!)を舞台にしたドタバタ劇。フィガロは婚約者スザンナの尻に敷かれた弱みも見せつつ、ちゃんとみんなのことを俯瞰していて、機転がきいて、おまけに包容力がある。
ことに、同僚の小姓ケルビーノをからかいつつ励ます兄貴分の表情がたまらない。
私はケルビーノというズボン役が大好きで、「恋とはどんなものかしら」を歌いたくて声楽を習った。11月に観た『フィガロ』ではイザベル・レナードのハンサム少年ぶりにすっかり心を奪われたのだが、そのイザベルが今度は『セヴィリャの理髪師』のなかで(『フィガロ』ではケルビーノとして恋した)伯爵夫人の若き日――ロジーナ役を演じるというので、期待に満ちて東劇へ出かけた(1/27)。
ロッシーニのオペラ『セヴィリャの理髪師』は『フィガロの結婚』の前日譚。
若きアルマヴィーヴァ伯爵による恋人ロジーナ救出作戦にして、フィガロの大活劇が見どころだ。期待どおりのイザベルの才色兼備ぶりもさることながら、ひさしぶりに観たこのオペラ、そしてモルトマンの好演で、わがフィガロ愛は爆発した。
住まいはセヴィリャ。職業は理髪師。その正体は「町のなんでも屋」。貴族の称号はないし学歴もない。でも機転にかけては誰にも負けない。だから男にも女にもモテる。人生楽しまなきゃソンだろ?
――『セヴィリャの理髪師』の冒頭でフィガロは、そんなふうに歌う。ちなみに声はバリトン。飄々とした早台詞を聴きながら、私は思った。
「フィガロって万事屋銀さんじゃない?」
銀さんは少年ジャンプのヒーロー。わかりやすく言うなら「遠山の金さん」とか「探偵物語の工藤さん」とおなじ、遊び人だが情に厚く、その正体はスゴイ「昼行燈の系譜」だ。私には、この手のヒーローを宿命的に愛してしまうクセがある。
彼らの魅力はなんといっても垣間見える孤独だ。飄々と無頼を気取りながら、出会った人々の事情を察し、助けるためにせつないほどがんばる。そしてみんなから愛される。私はそんな彼らの過去には何があったのだろうと、気になって仕方がなくなるのだ。
おまけに彼らは言うのだ「人生って素晴らしい!素晴らしい喜びだ!」。そう、彼らは人を、生きることを信じ、愛している。
モルトマン演じるフィガロが宿命のヒーローだったことで、どうしてこんなにもフィガロに惹かれるのか、という長年の謎がとけた。シリーズものにはよくあることで、人気キャラクターの魅力というのは作品が変わっても決して揺らがない。
一方、ロジーナもやはり魅力的な女性だ。
ロジーナは伯爵に見初められるほどの美少女だが、決して深層の令嬢タイプではない。
後見人による軟禁状態という現状を打破するため、「この恋いただき!」とラブレターを投げ落とす彼女をとりまくのはやはり、人生はきっとうまくいく!いかせてみせる!という明るいプリンセス・オーラだ。それはイザベル・レナードという歌手が生まれ持っているもののようにも見える。彼女を2015年のプリンセスの一人に選んでおいて正解だった。
これはロッシーニの音楽の特徴でもあるのだが、早口でくるくる動き回る彼女を好きにならずにいられるだろうか!
ロジーナとフィガロの共犯関係もいい。フィガロは縁もゆかりもない伯爵のために助っ人を買って出る(もちろんちゃっかりお代はもらう)のだが、相手のロジーナに出会って共鳴して、心から「助けてあげたいな」と感じたのではないかと妄想してしまう。この公演の前宣伝はイザベルとモルトマンの息の合った練習風景で、モルトマンは、
「彼女ついこないだまで少年(ケルビーノ)だったのに、今度は女の子。混乱しちゃうよ」
とこぼしていた。これはフィガロならではの悩みだろう。からかうような口調も、まるでフィガロそのものみたいでいとおしい。
いや、こうやって言いはじめたら、『セヴィリャ』にも『フィガロ』にも脇役なんかいなくて、登場人物みんながいとおしい。作曲家たちはもちろん、そこが原作者ダ・ポンテのキャラクター力というか、群像劇のうまさなのだと思う。
シャーの演出は「人気キャラ総出演」のこのオペラを存分に生かした張り出し舞台付き。18世紀そのままなのにゴテゴテしない衣装もセットもなにもかも、小粋でおしゃれで楽しい。宝塚の銀橋を思わせる前方にみんなが勢ぞろいする高揚感といったらなかった。
大好きな、大好きなフィガロ。そしてイザベル。
このプロダクションはいつかきっと、METの最前列で観てみたい!