すべてはクラシック音楽の民主化のため――そうしてラ・フォル・ジュルネは20年前の1995年、ナントではじまった。
以来、毎年12万人以上の来場者がやってくる巨大フェスティバルとなり、この地方の冬の風物詩へと成長。10年前には東京に上陸し、「100万人を動員した奇跡の音楽祭」として話題になった。そして時を経て、この“革命”の種はフランスや日本はもとより世界の各地に広がり、着実に芽吹いているのである。
“革命”はなぜナントからはじまったのか?
これが20周年の現地取材の大きなテーマだった。ナントはフランス西部、ロワール河畔に位置する都市だ。ペイ・ド・ラ・ロワール地方の首府であり、ロワール=アトランティック県の県庁所在地。人口は約65万人。
ルネサンス時代には、ブルターニュ大公国として宮廷文化が花開いた。
早朝、宿泊先のホテルから大公城の城門までの石畳を散歩する私を、15世紀末にこの国を統治したアンヌ・ド・ブルターニュの像が見守ってくれた。彼女は11歳で公位につき、フランス王との二度の政略結婚によって国を守った公女。
『王妃マルゴ』の時代の宗教戦争最後の激戦地でもあり、その終結に際してフランス王アンリ4世が発布した「ナントの勅令」でも知られている。当時の城主はカトリックで、ギーズ公アンリの従兄弟だった。
大公城自体は1207年に建造された広大な要塞城。内部は修復され、おしゃれなナント歴史博物館として楽しむことができる。
城壁の内側、ブルターニュ大公城と大聖堂に近接したドクレ地区とル・ブーフェ地区には15世紀の、中心部には18世紀の建築家ジャン=バティスト・セヌレとマチュラン・クリュシーによる街並みが残っている。
16世紀から18世紀にかけては三角貿易が栄え、その巨大な富によってナントは繁栄を謳歌した。
大聖堂と美しいパッサージュ・ポムレー(Passage Pommeraye)。
1843年からあるアーケード型ショッピングモールで、1976年にフランス歴史文化財となった。近くにある最古のショコラティエGEORGES GAUTIERでの量り売りも楽しかった!
ナントといえばトラムも。1875年に馬車軌道が開通、1911年には路面電車が走り始めた。
一度全廃されたが、85年にエコの観点から復活。フランスのトラム復権の第一号となった。
もうひとつ、忘れてはいけないのがビスケット。砂糖の精製工場も多い一大工業都市だったナントは、フランスのビスケット産業の揺りかごでもあった。
LUのロゴで有名なルフェーブル・ユティール社の工場の塔(上写真)はナントの象徴だ。
中心部からシテ・デ・コングレへの道程にあるため、ラ・フォル・ジュルネの観客にとってもなじみ深い。建設は1909年。張り出し窓の上の、トランペットを吹く天使像が印象的。ナントの人びとは、1943年の爆撃で破壊されるまでこの塔とともに育ったという。
しかし1970年代、ナント港の移転のため造船業が衰退。連鎖するように工場は次々と閉鎖され、失業者が街にあふれかえった。そんななか、1995年にラ・フォル・ジュルネがスタートした。それは、都市を文化で再生させようとする行政と、民間のユニークな活動の奇跡のような出会いだった。
1997年、ワールドカップ開催を前にLUの塔も修繕され、青と赤と金色によみがえった。現在はLU=Lieu Unique(唯一の場所)という名の芸術複合施設となり、音楽祭の会場としても使用されている。
ナント出身の音楽プロデューサー、ルネ・マルタン。ラ・フォル・ジュルネを企画し、実行してきた彼の存在は、この一大イベントにとってなくてはならない精神のようなものだ。
音楽の楽しさを一人でも多くの人と分かちあいたい。限りなくシンプルな情熱と、すぐれた経営者の側面をあわせ持つ彼は、元々バリバリのバンド少年だった。ロックやジャズで耳を磨き、バンドのドラムでリズム感を養った。17歳のときには伝説のジャズマン、チャーリー・ミンガスに夢中になり、彼が最期に聴いたというバルトークの弦楽四重奏曲のレコードを買った。それがクラシックとの出会いだった。このときのことを、彼はいつも熱っぽく語る。
「バルトークとの出会いは衝撃的だったね。ミンガスやジョン・コルトレーンを聴いてきた僕の耳に、バルトークの不協和音はまったく違和感がなかった。それどころか、特徴的な民謡の旋律が、体にズシンときたんだ。僕は即刻、ナントの音楽院に入学したよ」
音楽とともに経営学も専攻。クラシック音楽をプロデュースする仕事がしたいという夢に突き進んだ。
名だたるベテランと数々の音楽祭を手掛けるようになった彼がラ・フォル・ジュルネを思いついたきっかけは、息子とともに訪れたU2のアリーナ・ライヴ。ひらめいたのは、そんな過去の自分だった。ここにいる3万5千人のロック好きたちにクラシック音楽への“通路”を作りたい。ミンガスが与えてくれたような出会いを、今度は自分が演出したい。そう、強く思った。
「音楽が本当に好きな人は、ジャンルなど違っても一流のものがわかるし、受け止めてくれる。そう信じている。だからこそ僕は“シェア”しつづけるんだ」
お祭りのような空間を作って、聴衆同士、そして聴衆とアーティストがコミュニケーションできるような場を作りたい――ルネ・マルタンの“革命”はジャン=マルク・エロー市長(現フランス首相)の完全な信頼のもと見事に成し遂げられた。
(ラ・フォル・ジュルネの10年『新潮45』2014年5月号初出)
華やかな歴史の背後にある、奴隷貿易の罪や失業による荒廃といった負の側面。それを知ったことは、私にとってのナントとラ・フォル・ジュルネに新たな陰影を刻んだ。
それはとても豊かな陰影だ。
影があるからこそ光を、輝く世界を求めて前進すること。私はそれこそが、文化や教育を支える原動力だと思う。
音楽祭を旗頭に、文化と教育の充実や質の高い生活で知られるようになったナントは、2003年には「フランスでいちばん住みやすい都市」に選ばれるまでに成長した。
ロワール川の中洲、ナント島と名付けられた再開発地区にあるかつての造船所は近年、ギャラリーやアトリエ、ブティックなどからなる新たな観光スポットとして脚光を浴びている。常に斬新な試みに挑む文化都市、それが現代のナントの形容詞だ。
宿泊したL’HOTELもまた、新しいナントを象徴するようなスタイリッシュなデザイン。大公城の目の前にあり、シテ・デ・コングレまでのアクセスもよく、なによりも朝食が最高においしかった。
L’Hôtel : hôtel 3 étoiles à Nantes – L’Hôtel Nantes en centre ville, proche de la gare
パリからナントまでは約1時間。TGVでは2時間程度。いつか、夏の街や郊外をゆっくり訪ねてみたい。
【Travel】ナント、唯一の場所 [前編] | ラ・フォル・ジュルネ2014 – Salonette
➢ルポルタージュ「ラ・フォル・ジュルネの10年」掲載号
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/04/18
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