美術館ウィーク、ラストは薔薇の咲く三菱一号館美術館へ。
週末にスタートした「画鬼・暁斎:幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」展は、河鍋暁斎と三菱一号館を設計した英国人建築家コンドルの師弟関係をフィーチャー。ここでしか味わえない贅沢タイムトリップだった。
ジョサイア・コンドル(1852-1920)は、1877(明治10)年にお雇い外国人として来日。鹿鳴館やニコライ堂といった洋風建築で知られた。
政府との契約が切れた後も日本に残ったコンドルは、三菱財閥と岩崎家の仕事を手がけていく。彼が最初に設計したオフィスビルが三菱一号館。その一方で、日本文化や美術の研究に邁進し(写真下/コンドルのスケッチブック)、当時「画鬼」とよばれた天才絵師・河鍋暁斎に弟子入りしたのである。
洋館好きにとっておなじみのコンドルが「暁英」という画号でみごとな日本画を残しているのにも驚いたけれど、このふたりの出会いや交流がほんとうに興味深かった。
河鍋暁斎(1831-89)はもともと、歌川国芳に学んだ狩野派の御用絵師。江戸幕府滅亡の時代にあって、大和絵からポップな広告、エログロまであらゆるジャンルを描いて庶民から絶大な人気を得た。
子どものころ生首を拾ってきて夢中で写生したとか、お女中を追いかけまわしているかと思えばその「美しい帯の模様」を描きたかっただけだとか、天才エピソードもたっぷり。文明開化の新しいものも大好きで、50歳のとき出会ったコンドル青年(29)のことも「コンデエル君」と呼んでかわいがったらしい。
ふたりは友人同士のような関係性だった。絵日記にはふたりで写生旅行に出かけたりしたようすがつづられているし、死の床の暁斎はコンドルの手を握りながら息を引き取ったらしい……萌える。
100年以上前の日本に、肌の色も人種も違うすてきな師弟がいたなんて!
コンドルは画家のパトロン的役割も果たした。研究発表や著書により、コンドルはその作品を欧米に伝え、また所蔵品を遺族や友人が美術館に寄贈したりもしている。今回初公開となる、メトロポリタン美術館所蔵の暁斎作品群もそのひとつ。100年ぶりの里帰りだ。
展覧会はそうした師弟愛をあきらかにした上で、暁斎のユニークで型にはまらない幅広い画業を回顧していく。
「道釈人物画」「幽霊・妖怪図」「芸能(ポスター)」「山水画」「戯画」「美人画」そして「春画」まで。おびただしい数の作品から、絵に対する狂気じみた情熱が伝わってくる。
暁斎の描いた猫やカエルなどの動物画もかわいいので、ミュージアムグッズやタイアップメニューはもちろん大充実。お猪口とワンカップ、そして芋けんぴが目立つのが洒落がきいていて楽しい。
「Cafe 1894」で文明開花ランチを食べて、コンデル君と記念撮影して。
佇むだけで幸せな一丁倫敦、また訪れたい。