あなたがほしいの|エリック・サティとその時代展

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エリック・サティ(1866-1925)。20 世紀への転換期に活躍したフランスの作曲家だ。

芸術家たちが集ったモンマルトルのキャバレーで作曲活動を開始し、生涯を通じてパリの名だたる芸術家たちと交流した……ことはよく知られている。

親友ドビュッシーに、彼がプロデュースした音楽家集団「フランス六人組」。その傍らには詩人ジャン・コクトー。ピカソとはバレエ・リュスの公演《パラード》を、フランシス・ピカビアとはスウェーデン・バレエ団の《本日休演》をコラボ。アンドレ・ドラン、ジョルジュ・ブラック、コンスタンティン・ブランクーシ、マン・レイといったダダイストたちは、サティとの交流から作品を生み出した。

知っていても、目の当たりにするまでわからなかったことがある。

「こんなにも愛されキャラだったとは!」

 

“眼を持った唯一の音楽家” サティの活動を軸に、20世紀初頭のパリの自由の風を感じる「エリック・サティとその時代展」。

物語は、「第1章 モンマルトルでの第一歩」からはじまる。

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サティはノルマンディ地方の港町オンフルール生まれ。パリ音楽院に学ぶも身が入らず、1887年、モンマルトルへと居を移した。当時のモンマルトルは、作家や芸術家たちが集う自由の街。キャバレー黒猫(シャ・ノワール)に居場所を見出したサティは、歌や芝居の伴奏者として活躍をはじめた。

もっとも有名なピアノ曲のひとつ「ジムノペディ」が作曲されたのもこの頃だ。ムーラン・ルージュを意識した(?)赤い壁の展示室に、不釣り合いに憂鬱なジムノペディが、静かに流れている。

zen-on piano solo 「3つのジムノペディ」 全音 全音ピアノピース – YouTube

「ジムノペディ」というタイトルは古代ギリシアの祭典の名前に由来する。サティの友人サンティアゴ・ルシニョールによれば、サティは「失われたギリシアのハーモニーを求めて」この曲を書いたという。にぎやかなキャバレーの音楽とは対極のこの音楽は、サティの内なる思想だった。

サティ自筆の楽譜は、この展覧会がはじめての一般公開になる。

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ちなみにドビュッシーは親友サティを「今世紀に迷い込んだ中世の音楽家」と呼んでいた。

当時パリを席巻していたワーグナー旋風からいちばん遠いところにいたサティを理解し、困窮から救うために、ドビュッシーがオーケストレーションを手がけた楽譜が隣に並んでいる。熱い友情の証。「ジムノペディ」が評価を受けたのは20年後の1911年、モーリス・ラヴェルら新世代の音楽家が「発見」してからだった。

ジョン・ケージの数十年前に「4分33秒」を実践していたアルフォンス・アレ『耳の不自由なある偉人の葬儀のための葬送行進曲』(1897年/写真左)も忘れがたい。右は、ユトリロ父による『エリック・サティの肖像』。

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つづいて「第2章 秘教的なサティ」

小説家で神秘主義者ジョゼファン・ペラダン(ワーグナー信者!)との出会いと、彼が主宰する「薔薇十字会」をめぐる物語だ。

唯美主義的な信条のもとに、第1回薔薇十字展(1892年)では象徴主義の画家の作品を展示、2万人以上を動員したペラダン。関連イベント「薔薇十字の夕べ」では、サティの音楽が演奏された。写真はカルロス・シュヴァーベによるポスターやプログラム。真紅の招待状もすてきだった。

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しかしほどなくしてサティはペラダンと袂を分かち(そりゃそうだ)、サティただ一人の信者からなるメトロポリタン芸術教会を設立。信者一人とはいえ、ちゃんとミサのための音楽の制作や、教会誌の出版も行った。

まあ、そんな活動で生計を立てられるわけもなく、1898年、サティはパリ郊外のアルクイユ= カシャンへと居を移す(「第3章 アルクイユに移って」)。そして日々、モンマルトルへ通いつづける。「ジュ・トゥ・ヴ(あなたがほしいの)」に代表されるキャバレー歌手のための作曲で生計を立てる一方で、音楽学校へ再入学して対位法を学び直し、アルクイユの人々のために音楽教室を開いたりもした。

Satie – Je te veux – YouTube

転機が訪れたのは1911年のことだった。ラヴェルによってサティの音楽が紹介され話題になると、サティのもとへ高級モード雑誌『ガゼット・デュ・ボン・トン』から、シャルル・マルタンの挿絵入り楽譜集『スポーツと気晴らし』出版の話が舞い込んだのである。

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エリック・サティ(作曲)、シャルル・マルタン(挿絵) 『スポーツと気晴らし』より《カーニヴァル》 1914-23年 紙、ポショワール フランス現代出版史資料館 Fonds Erik Satie ‒ Archives de France / Archives IMEC

カーニヴァル、海水浴、ゴルフといった20のテーマに基づいて 、サティが作曲した30秒ほどの独奏ピアノ曲の楽譜集。楽譜はサティ直筆のものが転写され、随所に歌詞ではない「詩」が挿入されている。小節線はなし。「音楽と生活」に関心をもっていたサティを象徴する作品のひとつだ。

これがずらりと並んだ第3展示室のすてきなこと!

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壁やソファは一面のミント色。サティ独特の絵画のような楽譜とパステル色の挿絵が、五線譜の上の音符のように、リズミカルに並んでいる。

中央にはベヒシュタインのグランドピアノ。片隅には、サティのトレードマークである山高帽やステッキまで。足を踏み入れた瞬間、思わず声をもらしてしまった。

 

『スポーツと気晴らし』は今回、高橋アキさんのピアノ、エリック・ヴィエルさんの朗読で映像化された。約17分の作品は、会場で楽しむこともできる。これがまた、展覧会ともコンサートとも違う満足感。

シュールだけれど、どこか現実主義的なサティがいとおしくてたまらなくなる。

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展覧会はこのあと、バレエ・リュスとの共同作業(「第4章 モンパルナスのモダニズム」)や新世代、そして現代のアーティストに描かれたサティ(「第5章 サティの受容」)へとつづく。

 

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