越後村上の港町・岩船。わが故郷。
この町の人間にとって、10月19日の「岩船大祭」は1年のクライマックスである。故郷には、「盆正月より祭に帰る」ような祭バカが多く、父は典型的な祭バカ。父に似たわたしは確実に、その血を継いでいる。
1300年の歴史をもつ石舟神社の祭礼である。祭礼自体の歴史はつまびらかではないが、少なくとも戦国時代の記録には残っている。
18日、まずは宵宮の石舟神社へ。家々に門提灯が点り、幻想的だ。
京都・貴船から貴船明神を合祀した歴史から、町のひとは神社を「明神様」と呼ぶ。見晴らしのいい明神様の丘の上、日本海を臨む本殿の前には、海に祈るための鳥居がある。ここから見る海が、わたしはいまでも一等に好き。
日中にはおしゃぎり(山車)の曳きだしが行われるのだが、やはり小学生に戻ったようにそわそわする。小中と、地元の学校は半日で終わった。当日ははもちろん休校日。男の子に混じっておしゃぎりの「乗り子」をしていた。裃にポニーテールの男装気分で、祭囃子を担当。15才からはおしゃぎりを曳く「若連中」になるが、当時女子は参加できなかったので、「笛吹」として乗り子をつづけた。いまはどこも同じく、男女の関わりなくおしゃぎりを曳く。
真夜中。先太鼓の音、そして鉦の音が、静かに響いてくる。
写真は19日早朝の神社にて、猿田彦命の装束に身を包んだ先太鼓の人々。先太鼓は、悪魔をよけるまじない。張りつめた空気に、祈るように、古のリズムを伝える。
漁師の家では自分の船の舳先にごちそうを並べ、神酒をささげて柏手を打つそうだ。海の安全と大漁を祈る「船迎え」 。いよいよ夜明けとともに、おしゃぎり(山車)の巡行がはじまる。
石船神社、本殿へ向かう。「御魂遷し」の神事を目の当たりにするのは、じつは今年がはじめてだった。年に一度、神々は社殿内陣よりお出ましになり、人々の待つ町へと向かう。玉槍に守られ、神の御霊をのせた御神輿、御船様、御神馬の三体が、先太鼓に導かれて石段を下る。神々しい、神話の一場だ。
石段の下には町の人と観光客が詰めかけている。そこから見上げるのがいちばん美しいのだが、今年は本殿にいたため、途中の参道脇から、最後の御神馬を。(美しい神話の隊列の写真はのちほどご紹介する。)
貴船明神のいわれからか、おしゃぎりも二層二輪造りの京都スタイルなのだそう。9台あるおしゃぎりには、各町内の子どもたちが乗り込む。
もともと男子のみだった乗り子が纏っているのは、女子の振袖のようにあざやかな「しゃぎり小袖」。「御舟様」を頂く漁師町・岸見寺の一番太鼓の乗り子たちは、見事に揃えて太鼓を打つ。
お囃子や、祭礼に付随するさまざまな「音」が、音楽としてあまりに美しいことに気付いたのは、大人になって町を出てからのことだった。
祭りの主役である岸見寺の若連中が本木遣りを歌いはじめると、先太鼓もおしゃぎりのお囃子も鳴りやむ。静寂に響く、「木遣り上げ」の高音。独特の節回し。十年に一人の美声に浜の男たちの太い声が重なる。
勇壮な漁師の祭り、と形容されることの多い祭礼が持つ、意外すぎるほど優美な横顔に、心臓を鷲掴みにされる。
げにや目出度き神代の昔 蜻蛉洲に宮始まりて
縁起詳しく尋ねて聞けば 言うも愚かや辱なくも
天の水罔の御神とかや 天の磐船波間に浮かべ
藍の艫綱 桂の舵に 瑠璃の帆柱 珊瑚の櫓櫂 綾や錦の帆を捲き上げて これの渚へ漕ぎ寄せ給い
四方の景色を御眺められ 並びあらざるこれ一なりと
ここに鎮まりましますとかや 今に残りし一つの岩も
世世に朽ちせぬ御船の形 すぐに栄いし所の名をも
動ぎ揺るがぬ岩船町の 四方のかまどの末広がりて
四海波風治まる御世は 枝を鳴らさぬ竹も年栄え
木遣りの最後の声が鳴りやまぬうちに、再び先太鼓と乗り子お囃子が始まる。浜の衆が掛け声を上げ、いよいよおしゃぎりが動き出す。この、スペクタクル。[つづく]