10月19日未明の先太鼓につづき、神社での「御霊移し」と「木遣り上げ」が行われると、おしゃぎりの巡行がはじまる。
岩船のおしゃぎりは全9台。二層二輪造り。お囃子台である一階の上に唐破風のひさしがめぐり、二階には町内ごとの飾り、その上に「雨障子」とよばれる屋根がかかる。
祭の主役は勇壮な浜の衆。「御船様」を戴く生粋の漁師町・岸見寺と地蔵町につづき、わが上大町が動き出した。上岩船筆頭。昔は商人が多かったからか、飾りは「大黒天」、見送り(後方の彫刻)は「鶴と亀」。乗り子は「しゃぎり小袖」でなく揃いの「裃」を纏い、お囃子もおっとりとしている。
家々では朝から酒肴を用意して各町のおしゃぎりがやってくるのを待つ。岩船のひとは「一年の稼ぎを十三で割って、一月分は祭りに使う」と言われるが、あながち大袈裟とは言い切れない。
親戚や友人知人はもちろん、他人までもが立ち代わりやってきての無礼講。家の女たちは休む間もない。私はホステス役は苦手で、いつもぐったり。だれとでもスムーズに会話して、場の空気を変える祖母を尊敬してしまう。
実家にて、4年ぶりの幼馴染と。年々同級生たちが、若連中の幹部側になっていく……複雑な心境だが、祭礼では、盆暮れの帰省よりもたくさんの懐かしい顔に出会うことができる。
この無礼講、仕事後に合流する友人など内輪の集まりもあるので、おそらく0時くらいまでは続く。
さらに0時すぎにはおしゃぎりは浜の衆の家々を巡る「浜まわり」にさしかかる。この町の女たちは、そこからが本番。酔いつぶれた若連中が他人の家にころがっているのも、この祭の醍醐味だ。
夜は浜のほうの当宿を務められている、父の友人宅へお邪魔した。地元の銘酒・〆張鶴だが、樽の香りがしてほんとうにおいしかった!
真夜中に遠く、帰り囃子の旋律が聞こえてくる。
夜のしゃぎり行列は壮観。近年では、各町内が趣向をこらしたアトラクションで観光客を楽しませているが、曳き手が(酔っ払って)いなくなって渋滞するようなもっさりするかんじも、私は愛している。
今年は上々天気のまま、祭が無事に終わった。男の子っていいな。けっきょくそこに終始するお話でもある。