今朝も空が青い。
梅雨の晴れ間のはずが、晴れ間ばかりである。
七夕やほおづき市のこの季節はいまでも、夏休み直前のように心が浮き立つ。
浴衣に合わせる帯止めを新調して、部屋にはリンドウの花を飾って。
連れ立って登下校する開襟シャツにもノスタルジー。
『ダ・ヴィンチ』8月号によると、「メガネ男子」や「制服男子」の次は「チーム男子」がくるそうだ。
現在放映中の『ROOKIES』から『ウォーターボーイズ』、わが青春の『SLAM DUNK』まで、ひとつの目的、ひとつの想い、たったひとつの“なにか”のもとに集まり結束する男子たち。
遠くからテノールの歌声が聞こえる…
誠の名に集いしー遠いー日のー
私にとってのチーム男子は新選組。
夏は、新選組の季節である。
武州での喧嘩や縁日、野試合の西瓜、池田屋の夜の祇園祭の熱気。
なによりも羽織の浅葱色が、夏の空のようで格好いい。*1
とりわけ夏のイメージなのが沖田総司。
彼は天保13年または15年の「夏の日」生まれと伝えられている。
空知英秋のコミックス『銀魂』(集英社)の沖田(右)は、7月8日が誕生日だ。*2
土方歳三は、抱かれたい男ランキング永遠のナンバーワン。
しかし沖田総司にはいつも、土方に感じるのとは別のまぶしいような憧れを感じる。
いってみれば、夏の少年への憧れ。
沖田は、土方や近藤の生意気な弟分だからすき。
隊士たちのなかでひときわ若いくせ、腕がたつからすき。
明るく分け隔てなく笑って、その実孤独そうだからすき。
この「すき」の意味を、やまだないとが簡潔に綴っている。*3
男の子たちを好きなこの気持ちは、案外憧れや片思いに似た、
それ以上に純粋なもののように思う。
自分にとって優秀な対を見つけるという品定めの視線ではなく、
男の子という生物を愛すること。
その生物たちが生み出すドラマを愛すること。
まあ、そのドラマにロマンチックな恋愛を夢見る(妄想する)楽しみも含めて。
ボーイズラブってそういうことではないかとワタシは解釈している。
男の子たち(への)ラブだっていう。
自分と違うもの=自由への憧れ。
乙女は、女である自分を否定している?
そんな古い論考がいまだに通用しているのだとしたら、ぜひとも異を唱えたい。
男に生まれたかったわけではない。
男たちのドラマを見て、切ないのにいとおしい気分になるのは乙女の特権。
乙女指数が上昇し、ああ、女でよかったと思うのだ。
乙女だからこそ見つめていたい。
そんな、ボーイズライフと夏の空。
*1 すべて三谷幸喜による大河ドラマ『新選組!』で増強されたイメージ。強烈なスタンダードになったので、それ以前の新選組が、どうしてオジサンたちによって演じられていたのだろうかと不思議になるくらいだ。
三谷『組!』がいかに乙女回路を駆使して描かれたかについては、三浦しをんによる秀逸な論考がある。
「新選組」という組織の特徴は、「若さ」と「政治的な軸がぶれている」点にあるだろう。…
歴史というのはあとから振り返ると、まるで一筋の道があるかのように見える。勝ち負けが明白で、おのおのの人物の考えや感情も、すっぱり明瞭に割り切れるかのように見える。だけど実際にその時代を生きた人々の心は、当然そんなに簡単に図式化できるものではなかったはずだ。それぞれに生活があり、誰かと接することで常に揺れ動き、迷ったり反発したりする感情や思考があったはずなのだ。
『新選組!』は、その揺らぎをリアルに描き出すことに成功した。新選組の内部に軋轢と友情があり、外部からも刺激を常に受け、登場人物にそれぞれドラマがある。群像劇にしたために、歴史を俯瞰するのではなく、「いままさに起こっていること」として出来事を描く視線を獲得したのだ。…
多くの女性たちは、新選組が大好きである。それは、歴史がどうこうという次元ではなく、「新選組のなかの人間関係」に、なにやらモヤモヤを掻き立てられるからではないか? そのモヤモヤを見事にドラマとして表現したのが、『新選組!』なのだと私は思うのだ。『シュミじゃないんだ』(新書館、2006年)
*2 史実の沖田(とそれを描いた『燃えよ剣』以来のイメージ)をモデルにしたキャラクター。ドSの美少年。
*3 前掲の『ダ・ヴィンチ』による。