昨夜の『シエル・ファントムハイヴの事件簿』『黒執事』は、歴史ヲタにはたまらないオリジナルストーリー。
第16話 「その執事、孤城」~あらすじ
ファントムハイヴ家が所有するラドロウ城に幽霊がでるため、ホテルの改装工事の中止依頼が来ているとの報告を受けたシエルは、セバスチャンと共に真相を確かめるべく城に向かう。そこで四百年前に暗殺されたといわれるエドワード5世とリチャードの二人の王子の霊に出会う。
城の明け渡しを賭け、エドワード5世とのチェス勝負に臨んだシエルだったが、負けてセバスをとられてしまう。王子の例の謎をひとりで解こうとするシエルだったが・・・。
脚本が時代考証を担当する村上リコさんの筆によるものということで、納得。
登場人物、コメディとアクションを極力取り除いたゴシック・ミステリーの雰囲気、三者三様の抑えた演技、謎解きシーンに登場したメインテーマ3(仮)の弦楽バージョン、ラストのセバスチャンのモノローグから新ED*1 に至るまで、全編に冴え渡った統一感がある。
たぶん、萌えツボがいっしょなのだろう。
これまでの“ホームズ的仕掛け人”もこのひとなのかもしれない、と思う。
――だって、セバスチャンがシエルの靴紐を結んだもの。(「小鳥の巣」現象)
■「召使い」と「執事」
劇中でエドワードがセバスチャンを「召使い」と呼ぶ場面がある。
シエルのひと言で「執事」と改めるが、これは中世(15世紀)と近代(19世紀)では使用人の種類や身分、呼び名などが違うことを暗示している。
16世紀頃まで、貴族は名家出身の若者を使用人として抱え、傍らで社交や武芸などの修行を積ませた。この場合、使用人といっても彼らは家族同然に扱われる。役目を終えたら家に戻り家督を継ぐのが一般的だったが、そのまま奉公先に残り家令をめざしたり、私兵となったりする者もいた。
執事(特に家令)は、ステイタスの高い役割だったのである。
もちろん衣装も豪華で、カツラが必須。
「鴉のように野暮ったい燕尾服」を纏うようになったのは、18世紀に入ってから段階的に定められた使用人税が原因か。需要もあいまって男性使用人の賃金が高騰したので、衣装だけでもと簡略化されたことだろう。
産業革命以降、雇い主と使用人の身分差が決定的に深まったことも大きい。
わたしたちが現在イメージする執事は、この近代以降の姿である。
伯爵位である“坊ちゃん”に平生使用される「マイ・ロード」と対をなすように、王家たる少年たちに使用された「ユア・マジェスティ(陛下)」「ユア・ロイヤルハイネス(殿下)」という呼称も、主従萌えにはたまらないサービス。
他にも薀蓄に次ぐ薀蓄。
たとえば晩餐の際にセバスチャンが、
「クラレットでございます」
と告げて注ぐのはいわゆるボルドーの赤ワインである、とか、ラドロー城に掲げられた絵画はラファエル前派のジョン・エヴァレット・ミレイによる《ロンドン塔に幽閉された王子たち》(下画像)だとか。
■薔薇戦争
ゲスト出演のエドワード5世(Edward V, 1470-1483)は、実在のイングランド王。
彼が王となりロンドン塔に入れられる経緯は、およそ以下のようなものである。
イングランドは百年戦争(ジャンヌ・ダルクで有名なフランスとの戦い)で大陸から撤退。
国内では貴族を中心に不満の声が高まり、ランカスター家出身の国王ヘンリー6世は弱体化。
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1455年、この動きを察知したヨーク家が宣戦布告。貴族も二派に分かれて戦争に。
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1460年、ヨーク家の長男、エドワード4世として即位。ヘンリー6世、ロンドン塔に幽閉。
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1483年、エドワード4世死去。幼い息子のエドワード5世が即位。
しかし居城ラドロー城からロンドンへ急行中、摂政である叔父グロスター公リチャードにより、弟リチャードとともにロンドン塔に幽閉。
↓
同年、グロースター公がリチャード3世として即位。ロンドン塔に幽閉された後のエドワード5世と弟リチャードの消息は、現在に至るまで判明していない。
味方する貴族まで無実の罪で処刑していくリチャード3世の残虐性については、シェイクスピアの戯曲の題材にもなり、いまも人気演目として上演されている。
中世の薔薇戦争のただ中に生まれ、少年王に祭り上げられ、13の若さで暗殺されたエドワード5世。
日本でいうならさながら『平家物語』の「敦盛」的な存在か。
ヴィクトリアンは中世回帰の時代。*2
血で血を洗う中世=ゴシックの歴史物語や幽霊も、好まれた題材であった。
*1 年明けからようやく、本編とつりあいの取れた、余韻を残す曲調のものにエンディング曲が変わった。
歌っているのはKalafinaという女性ヴォーカリスト集団とのことで、黒色すみれみたいにクラシックつながりかな、と思うもそうではなかった。残念。
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/kalafina/index.html
タイトル、Lacrimosaの意味は「涙の日」。
一般にレクイエムと呼ばれるカトリックの聖歌のうちの一節で、死者の安息を神に願う。
本来のラテン語の詞は以下のようなもの。
涙の日、その日は
罪ある者が裁きを受けるために
灰の中からよみがえる日
神よ、この者をお許しください
慈悲深き主、イエスよ
彼らに安息をお与えください
*2 ゴシックの文化がもてはやされたのは、現代のレトロブームとも通じるものであって、決して19世紀文化=ゴシックではない。
これだけでもファッションにしか関心のない少年少女には紛らわしい事柄なのに、一部PR番組などで「(『黒執事』の)舞台は中世ヨーロッパ…」などと誤ったナレーションを流すのはどうかと感じた。
「そもそもヴィクトリアンってなんですか?」という質問がきたときも驚いたが、それは授業で文化史をまるっと省くからなのだそうだ。
歴史好きでない人に、年号はもちろん王様の名前を覚えろとか服装を見てわかれとまでは言わないが、大人になって19世紀を中世って言っちゃうのは常識としてまずい。まずく…ない?
教科書と漫画やアニメを結びつけたりするだけで、それだけで歴史は好きになると思うの。
もうね、「漫画を鵜呑みにするのはどうか」うんぬん以前に、好きにならなければはじまらないから。