サーガとしての「鬼滅の刃」

『少年ジャンプ』には10年に一度くらい、驚異的な成長速度で人々を熱狂の渦に巻き込み、奇跡のように駆け抜けていく伝説の剣士みたいな連載が現れる。『鬼滅の刃』がそういう作品であることは、もはや誰の目にも明らかだろう。

そして、今回劇場版アニメとなり正真正銘の伝説を打ち立てた「無限列車編」こそ、”剣士”の爆発的進化のターニングポイントだったと言っても過言ではないはずだ。

「受け継がれる魂」の物語

『鬼滅の刃』には、TVシリーズとして放送された序盤にも「那田蜘蛛山編」などの壮絶な戦いがあった。

しかし、「無限列車編」はそれまでの戦いと大きく異なっていた。理由は、エピソード直前にようやく全貌を現した「柱」のひとり――炎柱・煉獄杏寿郎との「共闘」と彼の「死」によって、「受け継がれる魂」という『鬼滅の刃』全編をつらぬくテーマが明らかになったからだと思う。

将たる者がどうあるべきかを体現し、初登場の上弦の鬼との死闘で命を燃やし尽くした煉獄。彼に未来を託されたことで、これまで「鬼になった妹を救う」という私的理由に基づいていた主人公・炭治郎の戦いは、「歴史と志を継ぐもの」へと変化していった。その変化の熱量が、尋常ではなかった。個人的に第一話以来はじめて鳥肌が立ち、号泣させられ、この物語を絶対に見届けようと決意したきっかけが、この「無限列車編」だった。

「受け継がれる魂」の物語は、『ジョジョの奇妙な冒険』などのサーガ(年代記)で繰り返し描かれる怪異譚の王道だ。

『鬼滅の刃』は産屋敷家や竈門家のサーガであると同時に、「柱」と「継子」という疑似家族のサーガでもある。不死の肉体をもち千年の時を生きる鬼と、儚く死んでいく人間たちの戦いに、「継承」は欠くことができない要素だからだ。

「柱」である煉獄は、上弦の参・猗窩座による「不死の鬼」への誘いをこのように拒絶する。

「老いるからこそ、死ぬからこそ、(人は)堪らなく愛おしく尊いのだ」

この根底には、「人が死んでも志はつながれる」という鬼殺隊の確信がある。この確信は、2016年のヒラリー・クリントン演説――そしてつい先日カマラ・ハリスの存在によって具現化された例を挙げるまでもなく、現代の私たちにとってもアクチュアルなものだ。

どんなに不可能に思えることでも、闘いつづければ変化は訪れる。だから「胸を張って生きろ」と、煉獄は言葉を残す。

「己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと 心を燃やせ 歯を喰いしばって前を向け」

煉獄の志を身に宿し、炭治郎や善逸、伊之助は急激に成長する。泣きながらも顔を上げ、最終決戦への道程を突き進んでいくのである。

 

そんな名作「無限列車編」が、いよいよ劇場公開を迎えた。

TVシリーズ最終話に描かれていたプロローグ――炭治郎一行が飛び乗る、疾走する列車の大迫力にスクリーンでまみえた上、前述の人間ドラマが繰り広げられるのだから、最初から最後まで目が離せない。

それでもあえて見どころを挙げるなら、まずは「夢」と「無意識」に注目してほしい。とりわけ炭治郎の「無意識」は、原作のモノクロページから想像していた光景をはるかに超越した美しさだった。暗殺者の青年が戦意を喪失するのもわかる。心が強いということは、その奥深くにああした風景を持っているということなのかもしれない。

第二の見どころは、魘夢戦終結に安堵したところで響く、猗窩座 役の“あの人”――石田彰の声だ。取材のため8月に試写を観たときにはまったく情報がなく、完全なるサプライズ登場。声が聞こえた瞬間、

「この圧迫感と凄まじい鬼気 これが上弦」

と本能で感じた恐怖を、いまも鮮明に覚えている。あの瞬間、観客はみな炭治郎や煉獄になれる。この神キャスティングによる衝撃は、シークレットだったことも大いに影響していたと思うので、今後も未見のお友だちには内緒にしてあげてほしい。

そして最後はやはり、煉獄の最期を含むすべての言葉たちにこめられた「魂」だ。

『鬼滅の刃』最大の魅力の一つである、力強く、美しいネーム(台詞)*の数々が、最高の演者たちの声帯を通して魂を宿す。その熱い息吹に、じっくりと耳を傾けてほしい。

(LisOeuf♪ vol.19, 2020 掲載のコラム [未発表の初稿] に加筆)

 

 

* 『鬼滅の刃』が『ジョジョの奇妙な冒険』へのオマージュ的側面を持っていることは広く知られているが、この特徴的なネームの背景に『銀魂』の影響(韻を踏む台詞回しや小説的モノローグ、反復の多用など)があることはあまり語られていない。上記についてはあらためて論じたい。

(アニプレックスさんへ:映画『銀魂 THE FINAL』も楽しみにしています。)

連載|CLASSICAL MAGIC

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